猫にそんなこと聞かないで。

発達障害とか精神科医とか猫とか外国とかの話

マスクの女

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(約2200文字)
僕には気になる女がいる。

大学でいくつか同じ講義をとっている。大講義室でたいてい僕の2、3席斜め前に座って、1人凛とした佇まいで授業を聞いている。たぶん、美人だ。

たぶんと言うのは、常にマスクをしているため見えてる場所のみで判断するからだ。

もしかしたらマスクをしているため余計に美人に見えるのかもしれない。「歯科衛生士効果」だ。これは僕の造語だ。大抵のヤブ歯科医は受付と歯科衛生士を美人で揃えている。マスク姿の歯科衛生士はものすごく美人に見えるが、たまたまマスクを外す姿を見て、特に悪いわけではなかったが多分期待をしすぎてしまったんだな、若干がっかりしてしまうということがある。しかし歯石を取ってくれている間、マシュマロのようなおっぱいを当てていてくれる歯科衛生士さんもいて、やはり歯科衛生士はいい。マスクの女万歳。

 


そんなわけで、話がそれてしまったが、去年から僕はずっとマスクの女を目で追っていたのである。

 


その間マスクの女はずっと1人だったわけではない。あの美貌だから、当然モテる。1年前は一郎と付き合っていた。しかしいつの間にやら2人は別れ、一郎は失恋のショックなのか大学に来なくなった。半年前は二郎と付き合っていた。しかしいつの間にやら2人は別れ、二郎も見かけなくなった。

 


ちなみに一郎と二郎は兄弟でも何でもなく、それぞれ大学を一浪、二浪したことからそう呼ばれている。

 


申し遅れたが、僕の名はサブロウと言う。三浪ではない。両親が「リーダーじゃなくサブリーダーになれるように」とつけた。どうでもいいことだが。

 


一郎と二郎が相次いでいなくなったことから、マスクの女は気味悪がられ、ますます孤立した。これは僕にとっては好都合だった。ライバルが減った今ならイケるかもしれない。

 


果たして、マスクの女は僕の彼女になってくれることになった。ダメ元で言ってみるもんだ。

 


3回ぐらい普通のデートをした後、僕の部屋で、ついにそういうことになった。しかし、この後に及んでマスクの女はマスクを外さない。なのでできる事はちょっと限られてくるが、焦る事は無い。楽しみは後にとっておく方がよい。

 

 

 

しかしベッドで傍に静かに眠るマスクの女を見て、どうしてもマスクの中が見たいという誘惑が頭をもたげてきた。

 


「ちょっとぐらい、いいよな。彼氏なんだし、そのうちわかることなんだし…」

 

 

 

そ〜っとマスクを耳から外した…

 

 

 

その時だった。

 


突然辺り一面にヘドロのような臭気とともに沼のような緑色の濁ったモヤが立ち込め、少し目が痛くなった。

 


目の奥のチカチカする痛みに耐えながら、マスクで隠されていた部分を見ると、大きく開けた口が現れた。

 


「やけに大きく開けてるな…鼻炎のため口呼吸でもしているのか。」

 


少し近づいて口の中を見ようと思ったが、モヤがかかったような暗さで何も見えない。僕は子供の頃に買った双眼鏡を取り出して、その口の中の暗さを覗いてみようとした。

 


すると、その暗さはずっとずっと奥まで続いているのだった。そのずっとずっと奥まで見ると、どうやらそれはドブ川に続いていた。ドブ川の中で何やら人が動いている。さらに見ると、それは一郎と二郎の姿だった。必死にドブさらいをしながら、2人とも泣いている。

 


帰りたいぃィ…

 


その悲痛な声にぞっとして、僕はすぐに視線を口の外に戻した。そして、何事もなかったように再びそっとマスクをつけようとした、その時…

 


マスクの女の目が少しずつ開き始めた。僕は思わずマスクから手を離した。女の目は半開きになった。

 

 

 

ハアァァァ…

 

 

 

マスクの女がゆっくり息を吐き始めた。途端になまぬるく湿った、生ごみの腐った匂いとともに、くすんだ緑色のモヤが現れ、その臭気を吸ってしまった僕は体を思うように動かせなくなった。

 


完全に息を吐き終わった後、マスクの女は、スウゥゥゥ…と息を吸い始めた。すると、僕の体は次第にマスクの女の口に吸い寄せられていく。

 


次第に大きくなっていく女の口の中のブラックホール…僕も、一郎と二郎のような運命になるのか…

 


しかし女の口が僕を丸呑みしようとするすんでのところで、僕はあることを思い出し、残りの力でなんとか体を動かし、一か八かでポケットに入っていたあるものを女の口めがけて投げつけた。

 


すると女は悲鳴をあげ、気を失った。ブラックホールはヘドロを撒き散らしながら次第に小さくなりしまいには見えなくなった。

 


僕の投げつけたものは、ミントタブレットだった。女の口からはミントの爽やかな香りがし、そして、マスクをしてない女はめちゃくちゃ可愛かった。「歯科衛生士効果」は打ち破られた。

 


彼女は目を覚まして、言った。

「どうしたの?」

「なんでもないよ。かわいいなって思って、寝顔見てた」

「やだもぉ♡」

 


てなわけで、めでたしめでたし。

彼女の誕生日には、 ジェットウォッシャー「ドルツ」を買ってあげた。今や彼女の口は最高に芳しい。

 

 

 

一郎と二郎?さぁ、もともとあんまり親しくなかったし…

 

 

 

猫p妄想劇場おしまい。

 


電車の中でうっかりこの妄想が始まったせいで、一駅乗り過ごしてしまった。これは創作だから、今回のお題からはちょっとずれてるけどいいか。

 


ではまた。

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「すごいニオイ」#ジェットウォッシャー「ドルツ」


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私たちは楽しむために生まれてきた。

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(約2500文字)

前回の続きを書こうと思ったけど、嬉しいことがあったのでそっちを先に書く。気まぐれでごめんご。


私は今日、閉鎖病棟の患者さんを対象に、運動部を発足したのである。


きっかけは、隔離室に入っている2人の男性患者さん。2人とも私の担当ではないが、隔離室の患者さんは必ず病棟医が診察するのでよく知っている。


最近、看護師からこの2人について相談を受けた。腹部の張りがすごいので、便秘がひどいのではないかとのこと。


診察してわかったのは、この腹部膨満は長年の便秘による巨大結腸もあるが、ほとんど1日中隔離室にこもって寝てばかりいるのに食事はしっかりとっているため肥満にもなっているということだ。


精神科の患者さん、特に慢性期閉鎖病棟の患者さんと便秘との関係は切っても切れない。比較的昔の抗精神病薬の慢性投与による副作用とこれに対する刺激性下剤の使いすぎで腸が自力で全く蠕動しなくなるのだ。その結果、慢性便秘がひどくなり、イレウス(腸閉塞)を起こす人も多い。


本当に患者さんの便秘を治したいのなら、副作用の強い抗精神病薬を副作用の弱いものに変え、刺激性下剤の慢性大量投与を止め、そのかわりプレバイオティクス(オリゴ糖や食物繊維など)の内服で腸内環境を整え、適度な運動をするべきなのだ。


私は便秘やイレウスの診察依頼を受けるたび、私の担当外の患者さんにもプレバイオティクスを処方したり、カルテにて内服の再考を促すなどをしてきた。しかし彼らの便秘は手強い。

 

隔離室の男性2人は、私から見ると隔離室に入るほどではない病状であった。


1人は飲水衝動が強い中年男性。限度を超えて飲みすぎると低ナトリウム血症になってしまうため、1日の多くを個室に隔離されて過ごすが、そこにいてもトイレの水を飲んでしまうため結局変わらない。


もう1人は軽い認知症の初老男性。普段は特に問題がないが、カラオケに参加すると興奮しすぎてしまう。1日のほとんどを本も何もない個室で寝て過ごすため認知症が進んだり、体を動かさないことによる廃用症候群が心配な患者さんだ。


凶暴で他人に暴力を振るう患者さんや、しばらくまとまった睡眠が必要な重度の鬱病患者さんならまだしも、彼らの病状で個室隔離を続けている意味が私にはわからない。


こちらの訴えにより、「でも自由にさせてると、他の患者さんの部屋に入っちゃったりするからね…」などと言いつつも主治医はしぶしぶ?開放時間を1時間増やしてくれた。


それにしても彼らは圧倒的に運動量が足りないのだ。これでは便秘も肥満も治るわけがない。


礼儀正しいがほとんど受け身で、最低限の返事ぐらいしかしない多飲水の統合失調症の中年男性に、ボール遊びがしたいかと聞いてみたら、彼は間髪おかずに「したいです!」と返事をした。


いつも寝てばかりで、無気力で投げやりな感じになっている認知症の初老の男性に、ボール遊びがしたいかと聞いてみたら、珍しく丁寧に「お願いします!」と返ってきた。


彼らは私の担当患者さんじゃないから、こんな勝手なことをしたら摩擦は避けられないかもしれない。たいていは精神科医同士で治療は相互不可侵が暗黙の了解である。


しかし私は空気なんか読まない人間。尊敬してない人に嫌われることなんか屁でもない。さらに言えばクビになることも怖くない。忖度できるような大人じゃない。私は我慢をしない永遠の子供なのだ。

 

私は彼らに約束した。

「よし、ボール遊びをしよう!」

 


診察以外の仕事は高速で回した。

緊急時以外は電話を遠慮してもらうように言って、午後からの1時間枠を確保した。看護部長さんがボール遊びに付き合うと言ってくれた。


点滴中の車椅子の男性患者さんも一緒に連れて行った。この患者さんも私の患者さんではないが、誤嚥性肺炎やイレウスを起こしては、点滴につながれることになり、「こんな点滴に繋がれているなら死んだほうがマシだ!」と時折絶望を訴える。今日も抗議行動として点滴を抜いたようだ。

 


私たちは中庭に出た。12月だけあって風がちょっと冷たい。でもよく晴れた良い天気だった。この中庭は、とても広くて運動するのにもってこいなのに、もう何十年も使われてなかったという。私も中庭の存在すら知らなかった。

 

早速私たちは、ランダムにパスを始めた。ボールはビーチボール大の柔らかいもの。驚くほどみんな夢中になった。暴投に笑い声が上がった。しばらくしてパスに飽きると今度は蹴ってパスを回し合った。


途中でイレウスが疑わしい患者さんのレントゲン結果を見てくれと電話が入ったため、病棟に戻りレントゲンを見てイレウスと確定、絶食点滴指示を秒速入れて中庭に戻る。すると球技は野球に変わっていた。さらに精神科ソーシャルワーカーの2人も参加してくれた。バットは大きめのカレンダーをガムテープでぐるぐる巻きにしたものを即席で事務長さんが作ってくれた。

 


「ストラーイク!」

「ボールだよ!」

「今度はバントしてみようかな」

みんなワイワイ言いながら、誰かが打つ毎に歓声と拍手が湧く。患者さんたちは普段外にも出られず、スマホなどの娯楽もない。こんな楽しそうな姿、今まで見たことがなかった。


彼らも医療者もみんなが生き生きと心から笑った。まるで子供に戻ったような笑顔。みんな暑くなって上着を脱ぎだす。車いすの患者さんが「楽しいな」と言った。私はなんだか涙が出そうになった。

 

みんな体力不足できっと15分位で音を上げるんだろうなと思っていたが、なんと45分も遊んでいた!


今度はちゃんとしたプラスチックのバットを病院に購入してもらおう。そう思って事務長にねだりに行くと、「もう購入したよ。」と事務長。はやっ!


「こういう事は大好きだから行動が早いんだ。外からキャッキャと楽しそうな声が聞こえてきて、教えてくれたら僕も参加したのに」と笑う。


もう、みんな、みんな大好きだー!


てなわけで、私が出勤する月曜と金曜日は運動部の部活の日となった。部員は随時増やしていく。今まで以上に忙しくなったけど、患者さんのあの笑顔に勝るものはないからね。


ちなみに私の担当患者さん達は、病状が重くて運動ができない人が多いので、風船で遊ぶのである。

 


ではまた。

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私たちはたいがい人の話を聞いていない。【前編】

(約3000文字)
意思疎通というものは難しいものだなぁ、とつくづく思う。
ブログをしていても、「コメントするのって難しい…」と嘆くブロ友さんを見かけたり、言及記事について時に「言及元のブロガーさんは、そういうつもりで言ったんじゃないと思うけどなぁ…」と文意が十分に汲み取られていないのではという記事を見かけたりもする。私も言及記事を書くことがあるが、相手への賛辞が目的でないときは、そうとう気を遣う。それでもやはり意図を曲解されてがっかりすることもある。これは、必ずしも相手の読解力レベルがどうとかいう知的レベルの問題とも思えない。というのも、私が「文意が十分に汲み取られていないのでは…」という印象を持つ方々も文章を読む限りでは知的レベルが高いと思えるからだ。ただ、感情的になってしまうとそこから丁寧な読み取りができなくなってしまうのかもしれない。
そもそも「丁寧な読み取り」は、相手への敬意を前提としていると思う。ネガティブな方向に感情的になってしまうと、「こんなムカつくやつの言うことは丁寧に読むに値しない」と考えてしまうのだろうか。

文章のように、自分のペースで読むことが出来、立ち止まって考えることもわからない語彙を辞書で調べることも可能なものでさえ、このとおりなのだから、流れては消えてしまう会話の内容はより困難かもしれない。もっとも、会話となると、相手の表情や声の抑揚などの情報が理解を補うことを可能にするが。


精神科医をやっているなどと言うと、さぞかし人の話を聞くのがうまいのだろうと思われるが、自分の印象では精神科医をやればやるほど人の話を聞くのが下手になっている気がする。

精神科医は初診時に限られた時間で多くのことを尋ねなければならない。
主訴から始まり、現病歴、生活歴、既往歴、家族歴、趣味・嗜好(ギャンブル、アルコール等)、病前性格、最終学歴や職業、アレルギーから宗教まで必要に応じてなんでも聞く。本来は患者さんが話したいことを、心置きなく思う存分話させてあげられたら良いのだが、その日のうちにだいたいの診断をつけるとなると、そういうわけにもいかず、なんとなく話を誘導して、上記の項目を埋めていくのである。私たちは、「私たちの聞きたい情報」のみを巧みに聞き出し、頭の仕分けボックスに「この人は統合失調症、この人は全般性不安障害、…」と仕分ける。その人が「嵐の櫻井君が好き」などという情報はいらないこととして捨てられる。

ちなみに自慢じゃないが(自慢だが)、私がほんのたまにある精神科のクリニックに外来のバイトに行くと、患者さんの3人に1人には「先生は普段どこに勤務されてるんですか。先生の外来に行きたいんですが…」と言ってもらえる。残念ながら今外来をしていないので丁重にお断りをする。
どうしてそう言ってもらえるのかと言えば、私が話を聞くのがうまいからとは思わない。思い当たるとすれば、私はマルチタスクができないので、話を聞きながらパソコン入力をしたり紙カルテに書き込んだりと言う2つの動作が一度にできないのだ。だからとりあえず、聞くことだけに集中して患者さんが帰ってからカルテを一気に全部書く。このため「すごく聞いてくれてる感」があるのだろうな、と思う。一定数ひどい先生が混じってると言う理由もあるだろうが…


精神科医の話の聞き方は極端だとしても、たいがい私たちは人の話を聞いていない。自分たちが聞きたいように聞き、「要はこういうことでしょ」と雑なまとめをして、話を聞いたと思い込む。人が話している途中なのに、頭の中では自分が言いたいことを組み立て始める。「その人の話を最後まできちんと聞いて理解に努めよう」という思いよりも、たいてい「批判したい」「説教したい」「これを言ったら相手は感動するかも!」「そのくらいで不幸ぶって、わたしなんてもっと…、私のもっとひどい状況を話したい!」といった承認欲求やマウンティング欲が勝ってしまう。

私がイギリスでトレーニングを受けているオープンダイヤログという精神療法は、基本的にチームで行うため一人でできることではないが、対話に関する基本的な考え方については自分自身が心がけ、実践していくこともできると思うので、ここに一部紹介しようと思うが、拍子抜けするくらいシンプルな内容である。

・相手をジャッジしない。
・相手を変えようとしない。
・不確実性に耐える。
・「沈黙」を大事にする。
・外的ポリフォニーと内的ポリフォニーを大事にする。

(これらの説明は次回に…)

(今手元に資料がないので、思いついた内容だけ書いているが、後々書き加えるかもしれない)

一部をのぞいて当たり前のことであり、そこには特に何も新奇性はない。わざわざ金と時間をかけてまでトレーニングをすることだろうか、と思うだろう。だいたい、対話なんていうものは日常的に誰でもやっていることじゃないか。

しかし、言うは易く行うは難し。
Easier said than done.

私たちは学んだばかりのことでも、すぐに忘れてトレーナーから注意を受ける。これ、何かに似ていると思ったら、茶道に似ているんだなぁ。ふつうに「お茶を入れる」「お茶を飲む」ということ自体は誰でもできる日常のことなのだけど、これが茶道ということになると途端に難易度が増す。一つ一つの「お作法」の中には果たして必要なのかと訝るものもあるが、重要なのはこれらの細かい所作が、もてなされる相手にとって心地よく美しく見えるよう最善を尽くして考え抜かれたものであることだ。

そう、このオープンダイアログは日常行われている対話をより洗練させた「対話道」なのだ。たぶん。

オープンダイアログでもまずは決まった型のようなものを繰り返しこの身に覚え込ませる。型通りにやってるうちは、まだまだギクシャクしているし、それらの細かい指導が時に陳腐に思えても来る。例えば、「患者さんがすべて話し終わった後、すぐに口を挟まず10秒間の沈黙を守る。」などと言うものだ。

おそらくこの10秒間と言う数字に科学的根拠は無いだろう。ただ、実際この10秒間はやってみると思ったより長く、人は誰かと会話しているときになかなか10秒間も沈黙したりはしないのだと気づかされる。もし「患者がすべて話し終わった後、しばらく沈黙する」であれば私たちはせいぜい3秒ぐらいしか沈黙しないかもしれない。それゆえ、この10秒と言う具体的な数字が必要となるのかもしれない。

これが、トレーニング中に様々な課題をこなすうちに、人が話してる最中に自分が話したい事を考えてしまうような誘惑がなくなり、「人の話を聞く」とはこういうことかとわかってくる。そして患者役をやった人の中には、本当の役柄でないにもかかわらず「自分を丸ごと受け入れてくれ、尊重してくれる安心感。自分の孤独を理解してくれた気がする…」と涙ぐむ人も出てきて、ちょっと自己啓発セミナーちっくではあるが、自分が患者役をやってみると、なるほどなと思う。

さて、もう眠いので、人の話が「聴ける」ようになるためにどんなトレーニングをしたかについては次回書く。


ではまた。

健康とか薬とかについてうだうだ考えていることを自分のために整理しようと思う。

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(約3800文字)

ロンドンでオープンダイアログのトレーニングを受けていた時、2人の医療関係者から同様の話を聞いた。

曰く、「統合失調症の若い患者が、そんなに症状が重くなかったのに薬漬けになり、医師に副作用の辛さを訴えたのに改善してもらえず、明るかった患者が無気力になりやがてベッドから起き上がらなくなり、寝たきりの状態になった。これを見て、もう薬物治療が嫌になってここに来た」

 


看護師の女性は目に涙をためながら訴えた。居合わせた看護師の男性も、同様の件について医師に訴えたがまともに答えてくれなかったと言う。どこの国の医者も一定数のクズはいるもんだ。

こういうあまりに辛いことが起きると怒りのあまり極論に走ってしまうことがある。薬物治療は人殺し行為だ、など。私は薬物治療礼讃主義者じゃないし、どちらかと言えば薬物はなしで済ませたい方であるが、白か黒かという極論では患者さんは救われないと思う。

 
じゃあ一体何が正しいの?

人はいつも正解を欲しがる。

 
健康について、昨日まで正しいと言われていたことが今日からは間違いだったなどと言われ、私たちはいつも右往左往する。

 
卵は1日何個がいいの?

カフェインは1日何杯までなら健康に良い?

ワクチンてダメなの?

睡眠時間は何時間がいいの?

ダイエットは1日2食?それとも3食?

うつ病って鉄が足りないのが原因なの?

 
こういった健康情報については、野菜を摂る、適度な運動、過不足ない睡眠など長年議論の余地がないようなものを除けば、信じたいもの(金や手間があまりかからないもの)を各自信じる程度でいいんじゃないかと思う。

なぜなら、たとえこういった情報が信頼のおける統計的手法を用いて出されたものであっても、その結果は参加者の平均値から出されたものに過ぎず、「平均的な人にとって良い」という結果であり「あなたにとって良い」とは限らないからだ。

 


あなたの身長や足のサイズがしばしば平均からずれているのと同様、健康な状態におけるあなたの血液検査などの数値はすべて基準値の真ん中に来ているわけではない。

 


健康が気になるのなら、健康情報に左右されてサプリを飲み始めるのでなく、体重や血圧、血液検査などの数値でやや逸脱し始めたものがあれば、それを中庸に戻すように日ごろの行動をアレンジすればよい。

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カリウムが低ければ、毎日の朝食にバナナでも加えるとか、中性脂肪がちょっと高めだと思ったらイワシや鯖を食べるようにするとか、健康診断の血液検査の紙で赤かったり(高値)、青かったり(低値)するものを中央値に持っていけるように食事や運動を工夫していけば、大きな間違いに至る事はないだろう。遺伝によるものはある程度しょうがないにしても。

 
とは言え、あまりにストイックに強迫的にやるのは余計なストレスが増え、むしろ病気を呼ぶようなものなので本末転倒である。適度にしよう。

 
私の場合は、日ごろの食事は健康とダイエットを兼ねた、ちょいストイックめのものにしている。

でも、あまり「ほしがりません勝つまでは」を徹底してストイックすぎる食事しかしなかった場合、事故か何かで突然死してしまったら、多分ダイイングメッセージで、

 


らーめん…

 


と書いてしまう位後悔するに違いない。

 


だから、次のような機会に、体に多少悪くてもめちゃくちゃ好きなものを食べることにしている。

 


①映画館で映画を見る時にポップコーンとコーラ。

②めちゃくちゃ頑張った時のご褒美か、辛い目にあった時の慰め用。

③誰かとご飯を一緒に食べに行く時。

 


こうやって普段からあまり好きなものを全開に食べないでいる方が、それが食べられるときの特別感が得られてよいのだ。

 


健康に気をつけすぎストイックにやりすぎてストレスをためる、逆に我慢をせず好きなもの体にあまり良くないものを食べすぎる、この両極端に行かないように自分なりの良いバランスを見つけると良いかと思う。

 


私の場合、今より長く生きたいならに甘いものを断て、と言われてもお酒を断てと言われても、やろうと思えばできるが、もし肉を断てと言われたら、その場で辞世の句を読む。肉と心中する覚悟はできている。

 


最近は、いちいち大量の健康情報を見る時間がないので、こちらのブログをあてにしている。

rokushin.blog.ss-blog.jp

 

さてここまでの話は、自分の健康に関する数値が基準値内にあるとしたときの行動である。(つまり上の図の真ん中の青いゾーンにいる時)

 


これが、不摂生が長く続く、ストレスがかかり続けている、歳をとってきた等の原因により黄色いゾーンに突入してきたらどうするか。黄色いゾーンとは、血液検査等の結果が基準値から外れているが、特に何の症状も認めない状態とする。

 


血液検査の値が基準値から逸脱したからとすぐにうろたえる必要は無い。CrやKのように、値が1違っただけでも影響の大きいものもあれば、CKなどは基準値の上限が200から250位なのに、ちょっと運動しただけでも5000位になったりするため、数値の上では派手だけど、実は大したことないものもある。

 


基準値から逸脱しているのはわかっても、これが無視できる逸脱か、レッドゾーンに限りなく近いやばい逸脱かについては医者に尋ねてみよう。そして、食事、運動、休養及び適切なストレス対策を地道に続けてイエローゾーンからブルーゾーンに戻るようにする。

 


さて、イエローゾーンに移っても相変わらず何の対策もしないでいると、ある時から体や精神が何らかの異変を訴えるようになる。レッドゾーンへの突入だ。たいていはここから薬物などの治療に入る。

 


私たちが「病気」になったと呼ぶのはこのレッドゾーンを指しているのであるが、完全な健康状態からいきなり病気になるのではなく、その間にはグラデーションのようにじわじわと「無視できる逸脱」状態から「レッドゾーンに限りなく近いやばい逸脱」状態に進行しているのである。

 


レッドゾーンに入ってしまえば薬物治療が必要となる。悠長に食事療法などしている場合ではないのだ。急がなければ致死的な病態に陥ることもあるからだ。

 


しかし薬物治療が奏功し、症状が出なくなったイエローゾーンに再び移行したら、薬は徐々に減らし、食事、運動、休養及び適切なストレス対策などのこれまでの方法に戻すべきである。というのもイエローゾーンで強い薬を使うと、過剰な状態が中庸を一気に飛び越えて過少な状態になったり、暴力的な車が周りの木々をなぎ倒すかのように、もともと正常だった他の物質の数値を巻き添えに上げたり下げたりしてしまう。いわゆる副作用である。

 


このイエローゾーンをどのように扱うかが患者さんの予後を左右する大切なものと思っているが、症状が出なくなるため、身体科では治療終了とみなし、そもそもイエローゾーンに至った生活習慣に介入するところまではほとんどしない。精神科では逆に、イエローゾーンに至ってもそのまま漫然と薬物治療が続けられる。

 


精神科ではレッドゾーンの時期には、適切な量の薬物治療で介入することが大切だと思っている。いくら心理療法薬物療法のような副作用がないからといっても、まずは睡眠作用のある薬で神経を十分に休ませなければ、まともに話をすることも聞くこともできないからだ。

 


しかしある程度落ち着いてきたら、そこからはストレスを溜めやすい思考習慣等を変えていけるような心理療法をしていく必要がある。糖尿病や高血圧、ある種の心血管系疾患などが生活習慣病と呼ばれるようになって久しいが、私は精神科の多くの病気は思考習慣病と呼んでもいいと思う。精神の病気は脳の神経伝達物質の過不足の病気だから、薬物でないと効かないと言う先生もおられるが、この神経伝達物質もストレスによって分泌が左右される事を考えれば心の安定を保つことが再発をなくす上で1番必要であると思うのだ。

 

nkobi1121.hatenablog.com

 
上の記事に言及した精神科の先生は「認知療法なんて効かない。補助的療法に過ぎない」と書いているが、文章の語り口を拝見するにつけ、失礼だけど、おおかたいきなり「あなた、それは認知の歪みですよ」みたいな言い方してたんじゃないかな。

 

以前、たとえどんなに良い内容であっても、相手の心に浸透しなければ意味がないと言うようなことを書いた。

nkobi1121.hatenablog.com

 

認知療法が優れていても、それを扱う人が患者さんへの敬意を欠いていたら、患者さんは心を閉ざし、口では「わかりました。そうしてみます。ありがとうございます」みたいなことを言っても、心の中では(もうこの先生イヤ。早く帰りたい…)と思っていたりするもんだ。

 


心理療法については、その患者さんによって、認知行動療法だったり森田療法だったりマインドフルネスだったり暴露反応妨害法であったり、その人に合うもので良いと思うが、コンテンツがどんなに優れていても、その導入に際して患者さんが心を開けなければ意味がない。それを考えると、オープンダイアログの手法はすべての心理療法の導入に使えると思った。まずは安心感を持ってもらえるところを目指すからだ。

 


以後、オープンダイアログについて学んだことでシェアできそうなことを少しずつ書いていきたい。正直言って情けないことに、イエローゾーンにある患者さんに対して医者はあまり適切なことができていないと思うので、皆さんで互いに実践していってほしいと思う。

 


ではまた。

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続・続怒涛の日々~猫pin London 2nd season④~


(約2200文字)
こんな過酷なトレーニングの日々なので、ご褒美がないとやってらんないよね、とばかりに夜は遊びまくった。しかし今週の私はあまりついてない。水曜のコンサート、ブルックナー交響曲4番では、隣の女性が鼻か歯かどちらかをしきりにほじっては自分の指を眺めるという謎の行動を繰り返していたため、全く集中できなかった。


木曜は誕生日だったので、コンサートホール内のシャンペンバーでシャンペンと軽い食事を楽しんだはいいが、マグロのタルタルがよくなかったのか、鑑賞直後から猛烈な腹痛が襲ってきた。ワンピースの上から、締め付けの強いタイツをこっそり太ももまでずらして少し腹痛が緩和されたが、やはり途中で我慢できず、途中退場。係の人が水をくれ、医療班のところに連れて行ってくれた。「救急車を呼びましょうか、それとも自制の範囲内ですか」と聞いてくれたが、「大丈夫です」と答えた。保険入ってなかったから病院なんかにいったら高くつくじゃないか。これは感染とかじゃなく、ストレスによる一時的なもの、うん。と言い聞かせた。吐き気と腹痛のため、なかなか自分の席に戻れず、その間にボレロが終わり、威風堂々が流れてくる。イギリス人がはしゃいで歌いながら自国の旗を振る姿がみたかったなぁ。しかし、トイレに行き、やはり下痢だったがそのあと楽になったので、後半は楽しめた。色とりどりのレーザー光線、花火、クラッカーに天井から風船が落ちてくる。
私の誕生日のためにあるような演出。クラシック初心者向きかも、これならきっと誰も寝ない。観客たちがはしゃいで風船遊びをしているすきに、さりげなくワンピースの上からそっと太ももまで下げていたタイツを戻した。やっぱりストレスかな。ここんところ疲れてたし。
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さて、最終日の午後のロールプレイ。「患者役やりたい人!」さっとデボラが手を挙げた。が、「昨日と同じ人はダメ」と却下された。今回私はすかさず手を挙げた。万一、グレッグが患者役をやったりすることがないように、先手を打ったのだ。それと、実は患者役は意外にやりやすいということに気づいたのだ。自分が大まかなストーリーを作るため、最初から流れを把握するのに骨が折れるということがないからだ。そして、自分が一番多く話さなければいけないが、これは裏を返せば、他の人の聞き取りをする負担が大幅に減るということだった。

面談を始める部屋の外で、患者役とその他の役の人たちが打ち合わせをする。患者役の私が簡単な設定を作る。私は看護師のベティ。多忙な病院勤務で、2週間ほど前に致命的なミスをしてしまう。その場に居合わせた医師や看護師たちからひどく責められる。その翌日、ひどい頭痛と吐き気で仕事を休む。その後症状は治まるが、その翌日も仕事に出かけようとすると気分が悪くなり、仕事に行けなくなる。同僚だけじゃなく、知らない人も自分を責めるような目で見ている気がしだして、ついに外に出られなくなる。毎日のように電話をする間柄の近くに住む母が、電話がないので心配して訪問してみるといつもと様子が違うベティに気づき、心配して支援グループに連絡したという筋書き。初回セッションには、母(ゾエ)、友人でもある同僚看護師のメアリー(精神科医カルメン)、友人でもある医師のフィル(看護師のグレッグ)、近くに住む兄のジョン(看護師のパディ)が参加。支援グループが自己紹介をし、ベティに話を促す。ベティがいきさつを話し、母がフォローを入れたり、他の登場人物が良くも悪くもいろいろと干渉してくる。この寸劇が1時間ほど行われるんだけど、正直、ちょっと楽しい。それぞれの登場人物が思い思いに自分たちの設定を作っていく。メアリーの証言から、ベティのミスで患者が亡くなったということがほのめかされたり、(え、そんなにすごいミス!?)、ジョンは結構なオラオラ系で、ベティを思いながらもさっさと行動するようにはっぱをかける。フィルは薬を処方してもらえとうるさいし、マムはべたべた甘々…。そんな家族劇のなかで家族が良かれと思ってしている押し付けでベティがしんどくならないよう、支援グループが控えめに、でも上手に場の空気を変えるような質問をしたりする。なんか海外ドラマの主人公になったみたいでほんと楽しかった。

劇が終わってからも、余韻を楽しみたいゾエが「愛してるわ、ダーリン!」とハグとほっぺにキスをしてくるので、「私もよ、マム!」と返しておく。そんなこんなで、今回も、最後は男も女もハグの嵐でトレーニングの幕を閉じたのであった。その日のご褒美には、オペラ座の怪人を観た。疲れすぎてたので、半ばで寝てしまったけど、面白かった。こういう有名どころは私が感想を書くまでもなく多くの人が書いているだろうから、割愛。

ではまた。

続・怒涛の日々~猫p in London 2nd season③~


なんだか怖いミッキー?

(約1700文字)
オープンダイアログの1人でも実践できる部分についてはまとめるまでしばしお待ちを。


前回の続き
初日の午前中の授業では、ペアを作って、患者さんのSocial Lifeを知るために、患者さん自身に自分を取り巻く人的資源になりそうな相関図を作成してもらう、というのをやった。オープンダイヤログでは、危機的状況に陥った本人または家族から電話連絡を受けると、24時間以内にたいていはその人の家に2名以上のスタッフが集まり、支援を始めるのだけど、その際に患者さんおよび家族が望めば、彼らにとって助けになったり情報が得られたり一緒にいることでくつろげたりするような相手も召喚する。同僚、友人、学校の先生、保護司、習い事の先生、などなど。そのために、患者さんの人間関係を示す図を作るのだけど、これがもう、自分がいかに生活偏ってるかって痛感したよ、私は。


(この図は私のではない)

図は、円の真ん中に自分、4等分して、家族、友達、仕事、日常生活の4つのエリアにそれぞれ心理的距離に基づいて実際の知人たちを入れていくのだけど、最近仕事仕事で、家族も友達も日常生活もほとんど交流がない!4等分する必要がない。これ、ヒトとしてちょっと残念なパターンだな。あ、しいて言えば、ブロ友さん達!でもこれって、私の片思いだったらつらひ…。でもこの図作成にはペットもいれてよいというすばらしいものであったので、猫さん達を総動員させてちょっとでも図を埋めたよ。私とペアを組んだクラウディアの図は多彩で、すべての領域が盛りだくさんだった。豊かな人生を送っているなぁ…。それにしても、「家族はスペイン、スイスににいたときの友達と、ブラジルにいたときの友達と…」えらくインターナショナルなのだ。こういう人はクラウディアに限らない。ユダヤ系のアリエラも父はアメリカ人、母はフランス人、今住んでいるのはスイス、てな感じだ。こういう人たちが集まると、「何か国語しゃべれる?」みたいな話題になるが、日本人にそれを聞くのはやめてほしいなぁ。海に囲まれたほぼ単一の民族には外国語のハードルは高いのだよ。それにしてもこれ、仕事もなく家族も友人もいない真性ぼっちには酷な作業だよな…


さて授業はほとんどロールプレイと振り返りのディスカッションが主となる。このロールプレイも10月の時は長くて20分程度だったが、今回は45分や1時間と、だいぶ実践に近いものになってきた。この1時間のロールプレイ、10人1グループの2組に分かれて、患者、家族や友人、支援者チーム、観察者をそれぞれ決めて行う。ストーリーは患者役が好きに決めてよい。「患者役やりたい人」の声に、さっとデボラが手を上げた。そしてデボラのチームの支援者チームの2人のうち1人にグレッグがなった。この二人は20人の参加者中、私が聞き取れない英語を話すワースト1、2なのだ。こっちのチームは避けて、もうひとつのチームの観察者に…と思っていたら、いきなり隣に座っていたゾエが、「じゃあ私と猫pは、デボラのチームの観察者をするわ!」と、勝手に私を道連れにした。え、ちょっ、ちょっと勝手に決めないでくれる!?

…てなわけで、非常にしんどい一時間が始まった。デボラ扮する、父親を亡くしたばかりの息子。ぼつぼつと話す。廊下を挟んだ向かいの部屋ではなにやらトンテンカンテンやってて、うるさい。この授業始まって以来の最大の危機が訪れた。聞き取れないのだ、まったく。観察者は一連のロールプレイを観察して気づいたことをフィードバックしなくてはいけないのだが、お手上げだ。かくなるうえは、ゾエに先に発言してもらって、その発言を少しアレンジしつつ、間の取り方など非言語についての気づきを加えてお茶を濁そう。幸いゾエの声は大きく、聞き取りやすい。頼んだぞ、ゾエ…

ところが、フィードバックの段階になり、ゾエはこう言い放ったのだ。「ぜんぜん聞こえなかったから、何を言ってんのかわからなかったわ。観察者は途中で口を挟まないようにと注意書きがあったから口を挟まなかったけど…」
( ^ω^)・・・ゾエ、それはいくらなんでも口を挟んでもよかったのでは…?
とにかく、彼らの話す英語は、英語圏の人ですら難しいのだ。私のその時のストレスがいかほどであったか、想像されたし。

ではまた。

怒涛の日々~猫p in London 2nd season②~


(約1500文字)
やっとロンドンでのトレーニングを終え、帰国前にブログを書く余裕ができた。一気に書いたけど、長くなったので数回にわけることにする。

ロンドンにいる間は命綱になるスマホの電池切れを起こさないため、隙間時間にブログを読むこともほとんどできなかった。

私がロンドンに何のトレーニングに行っているかについては、過去記事を参照されたし。
nkobi1121.hatenablog.com


レーニングは前回同様、水曜から土曜の4日間、9時から5時まで。
今回、前回と比べて違いに気づいたことが2つほどあった。


1つ目。
前回よりも英語の使用に苦を感じなくなっている。
たぶん英語力がちょっと上がった気がする。
これはたぶん、前回の4日間のトレーニング中、あの英語学校のような手加減された英語でもなく、ラジオニュースのようにきれいな発音の英語でもない、野生の暴れ馬のような英語を長時間聞き取るために自分の集中力を限界にまで酷使したせいだと思う。これだけがんばりゃ、そりゃたった4日間でものびるわな。そのあとの疲労感たるや。燃え尽きるよ、ほんとに。時々ネットの広告で「1日たった数分のゲーム感覚で、おばあちゃんでもらくらく英語がぺらぺらに!」とか言ってるああいうの、ほんとにそうなら私の前に連れてこいやぁ!って思う。いくつになってもやり方次第ではある程度ペラペラにもなるけど、めっちゃしんどいわ、ほんま。しんどくてもいいから英語力上げたいと思う人は、英語圏のこういうトレーニングに参加してみるのも手かもしれない。理系や芸術系やスポーツ系などはそこまで英語使わなくてもなんとかなってしまうから、ガチでという方は、コミュニケーション系のトレーニングに参加してみるのをお勧めする。でも、授業に辞書を持ち込まないと不安という人は、メンタルやられるかもだからあまりお勧めしない。

2つ目。
メンバーの性格が丸くなっている!?
これ、ほんと驚いたんだけど、前回は個性派の人々の間でディスカッションが時折殺伐としたり、火花が散ったりと何度も雲行きが怪しくなったんだけど、今回めちゃくちゃ和やか!ほんとに1か月前と同じ人間たちかと疑うくらい。
レーニングはいつもウォーミングアップとして隣同士で5分ずつ気づきを自由に語り合うんだけど、ある日組んだパディという男性が「オープンダイヤローグで学んだことを練習として家族とか身近な人にも適用してみたんだけど、妻と全然ケンカしなくなったんだ。最近、昔のようにまた仲良くなれたんだよ!」マジですか!
いや、確かにね。あれをちゃんと実践出来たらわりと人間関係、うまくいきそうな気がする。オープンダイヤログ自体は複数で行うものだから、すべてその通りにできるわけではないんだけど、一人でも実践できそうなことはたくさんあるから、私も日々の生活に取り入れようと思っている。これ、やるようになったら私、モテるんじゃないかって思うわ。いやぁ、これ以上モテてどうすんの私?嘘です、モテませんけどね。これ婚活にも使えるよ、たぶん。近々、一人で実践できそうなポイントを記事に書くので、レッツトライ!

ではまた。