猫にそんなこと聞かないで。

発達障害とか精神科医とか猫とか外国とかの話

祝・はてな1周年!ふりかえりと今後の展望

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(3954文字)
仕事でバタバタして更新も滞りがちになっているうちに、はてなに来て1年が過ぎていた。

 


1周年といっても毎日コツコツときちんと書いた人に対し、なんとなく辞めずに書けるときに書いていたら1年経っていたというだけなので、1周年と言うのもおこがましいのだが、読んでくれる皆様がいなかったらもともと三日坊主の飽きっぽい私のことだから数日で終わっていただろう。なので、この節目に感謝の意を示したい。

 


皆様本当にありがとうございます。怠惰なブログですが今後ともよろしくお願いいたします。

 


さて、はてな開始から今に至る自分の軌跡を時系列でたどってみたい。「アレは結局どうなったんや!?」のアレについてももちろんふれる。

 


もともとは、はてなに来る前に数ヶ月ほど某Aブログで書いていた。その頃はパリにいて、パリでの勉強を継続することを考えて、パリにいながらにして稼ぐためSkypeでカウンセリングでもするかと、その布石としてニーズを探る意味合いもあって始めたのだった。

 


しかしその某Aブログのメンタルヘルス系にいた元心理職の男性ブロガーにしつこく絡まれる。自分1人のことならスルーし続けることで収まるだろうと思っていたら、多くの人々がこれに反応し、メンタルヘルスジャンルはさながら大勢を巻き込んだ戦国時代に突入。さっさと消火しないとメンタルやられる人が出てくる、と思い、ブログを引っ越した次第。

 


その後、パリでJICA(国際協力機構)で働いていた友人の話を聞いたり、ニュースで連日のように他の国の過酷な情勢を見て、パリでの勉強を継続することをやめ、某国際医療系NGOに参加しようと思いたち、参加資格に臨床経験2年以上のブランクがないこととあったため、慌てて帰国を決める。

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帰国1ヵ月前に自分の不注意で愛猫あずきを窓から逃がしてしまい、1ヵ月探し続けたが見つからず、卯月と共に失意の帰国。

 

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帰国して元いた病院で働き出す。元いたとは言っても、フランスに行く前に1年ほど働いただけだった。改めて精神科慢性期閉鎖病棟で働きだしてから、問題点の多さに愕然。精神科に通っているブロガーさん達の話を読むにつけても、日本の精神科の問題点が浮上してくる。そして、児童虐待や引きこもりなどなど。これ、外国のNGOとか言ってる場合じゃないな。自分の国の精神科、問題だらけやん!ということに気づく。

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そして、愛猫小豆を失ってから9ヶ月後、ブロ友さんから子猫2匹を譲り受け、家の猫が3匹になる。こうなってくるとさすがに猫3匹を残して某国際NGOに行くのは難しいなと思い、これは万一この先一緒に暮らす相手ができたら、その時はちょっとの間相手に世話を押し付けて頼んで参加しよう、という、限りなく実現見込みの薄いPLAN Bに成り下がってしまった。それでもそのわずかな可能性に備えて英語とフランス語を勉強し続けるけなげな私。

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ところで、私は我が猫に対して負い目があった。先代猫まめさんは、大学5年のポリクリ中に看取ることもできず逝ってしまい、あずきさんは逃してしまった。なので、今のこの子たちは必ず看取ると考え、まず今5歳の卯月くんの体にガタが来始めたらセミリタイアをしようかなと考えた。早ければあと5〜10年だろうか…ただ、家にずっと閉じこもっているのも暇だから、道楽で開業もどきでもしようか、赤ひげ先生のようにお金は取らない。でもかわりに自分に出来る事でちょっとの貢献をしてもらう。そういう場所を作ろうかな。
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そんなことを考えていた頃に、痛ましい虐待死の事件があった。その前にあった虐待死の事件からわずか半年のことだった。これは氷山の一角で、今にも殺されようとしていたり性的虐待に苦しんでいる子供たちがいる。シェルターの意味合いもかねて、セミリタイアと開業もどきを早めよう。場所は、そうだ京町家がいい!関西なら、日本中どこからでも比較的来やすいし、私が京町家にこだわるのには理由があった。
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そしてちょうど良さそうな京町家を見つけたため、京都信金にローンを申し込むも、京町家のイケズな仕打ちにあう。不動産屋も最初から「難しいかもしれないけど、もしかしたらお医者さんだったらいけるかもしれません。でもたいていは断られます」と言っていた。京都在住または京都府内に職場がなければ難しいとの事。それに医者とはいっても、再就職してからたった3ヶ月目。その前は2年間無職だったということもあってか、結局京町家は無理だったのだ。京都のイケズに負けた!いいんだ、数年後にキャッシュで買ってやるさ。

 


さてここで、私の開業もどき構想について書いてみる。

クリニックの名前は、ぽーぺにゃん診療所が今のところ第一候補。これはまけもけさんの記事に出てきたラオス語で、大丈夫だよ~って意味だそう。その響きの可愛さ、ゆるさ、そしてその意味が良い。

 

www.gw2.biz

出来たら診療所の看板をまた、かわいいサムネを作ってくださったねこわめぐすりさんに依頼したいなぁ。

www.nekowamegusuri.com

 


この診療所もどきでは処方箋を出さない。他の病院でできる事は他の病院がやり、私の診療所もどきではうちでしかやれないことをやる。

 


精神科に通っている患者さんは、メインはそっちで、ただ3分診療で話を聞いてくれないとか精神診療がない人たちに補足的にやる。お金は取らないがそのかわり診療所に隣接した畑の世話とか、家の診療所のセラピスト達(猫)の世話とか、できることをしてもらう。

 


午前中は個別に、午後からは日替わりで疾患ごとにグループでワイワイと当事者研究をする。カルテは私は書かず、患者さんが書く。これは自分の治療に主体性を持たせるため、とか言いながら私がめんどくさいせいもあるかも。そのカルテを読んで、私がツッコミを入れる。これは公開できる人はブログで公開することで同じ疾患を持つ人たちとシェアするし、公開しない人はしないなりにカルテとしてブログ記入し保存する。「茶道de マインドフルネス」とか「音楽療法的自由参加型コンサート」とか適当に企画もして遊ぶ。

 


夕方からは私がピアノ弾いたり猫と遊んだりしながらカフェもどきをする。自殺したいとか思い詰めてる人が、そこに来て、「なんか話聞いてもらえたから、次来る時まで生きようかな」と思えるような場所を目指す。カフェでは時折畑で取れた作物で何か食べ物が出てくる時もある。料理が得意な人が家を訪れたらなにか作ってもらうつもり。笑

 カフェもどきについては、ゆるいてんちょさんのブログで勉強させていただこう。

 

www.rupannzasann.com


これらに加え、虐待児やDV被害女性、学校に行けない子の駆け込み寺として機能するようにする。

また追い詰められて虐待してしまう孤立した母親を減らすため、育児の憩いの場を作り、数人の母親(父親も)がお茶をしながら情報交換や愚痴を言いストレス解消する間、1人ずつその場に子供を預けて親が自宅で仮眠を取る、週に何回かそういう場所を提供しても良い。

 


私のこのブログは、虐待死や自殺など、手遅れになってしまう前に、「そうだあそこに行ってみたら?」という場所の存在を示すために、細々と続けていこうと思っている。私が関わったところで解決をするかどうかは疑問だけど、かわいい猫が迎えるその場所で、私があったかいお茶を用意して話を聞くから。もうちょっと待っててね。

 


診療所もどきができるまでにいろいろ準備があるのだけど、その一環として、今年の10月から修行のためロンドンに通うことにした。

 


ロンドンで今年の10月から始まるオープンダイアログのトレーニングコースに参加することにしたのだ。

 


このオープンダイアログというのは、フィンランド発祥の対話による精神療法であり、1980年代に始まった。当時は「脳の病気である統合失調症が対話ごときで良くなるわけがない」と失笑ものとなっていたが、最近になってその効果が認められるようになり世界中に広がった療法である。対話による療法は今までも例えば認知行動療法などがあったが、統合失調症には効かないという認識だった。

つまり、統合失調症にすら効果があるのなら他の精神疾患にも有効ということだ。日本でもこのオープンダイアログのトレーニングが始まった。

そこで応募をしようとしたら、ちょうど募集の締め切りを過ぎていた。だけど私はがまんをしない人間、そして待てない人間だったので、外でもやってないか探してみてたまたまロンドンでやってたので、「じゃあロンドンにでも行くか」ということで応募したのだった。

 


ところが日本のトレーニングコースと違って、ロンドンのトレーニングコースは英語でやるので、世界中から希望者が殺到することとなり、どうしても参加したい私はやきもきした。履歴書とともに記入する志望動機欄にはめちゃめちゃ情熱的に熱いラブコールを送った。その甲斐あったのかどうかわからないけど、昨日やっとロンドンから返事が来たのだ!

 


ロンドンには10月、11月、来年1月、3月、6月にそれぞれ1週間ずつ滞在する。幸い、仕事が忙しくなってから利用するようになったお掃除サービスの女性が猫飼いの人で、留守中はこの人に任せておける。トレーニングが気に入ったら、3年間通う本格派のコースも受講するかも。

うちの職場は割と柔軟で、医師同士休みたい時に頼み合ったり出来、あるお母さん医師は、子供の中学受験で休みがちだった時に代わりに私がたくさんシフトに入ったりしたこともあり、快く手伝うと申し出てくれたり、インド在住の医師もよく日本に出稼ぎにきていてシフトに入りたいので喜んで手伝ってくれる。

 なので、10月からは猫p in  Londonもお送りするつもり。

 

 

長々と読んでくれてありがとう。

診療所もどきができた暁には、オフ会をするので来れる人は来てくれたらうれしい。

 


ではまた。

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タイミング

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今日という今日は、我が猫たちに物申す!

 

元気いっぱいな事は結構なことだ。

しかし、運動会の開催は私が寝ている夜中じゃなく昼間にしてくれないだろうか。

 

それから、私のことが大好きな事はよくわかったし、とてもうれしい。

しかし、夜中の2時や3時から、延々1時間もかけて、にゃぁにゃぁ鳴きながら喉をゴロゴロ鳴らしながら寝ている私の顔をぺろぺろスリスリするのはちょっと控えていただけると助かる。

 

やっと「愛してかまってラブラブハッスルタイム」というこの甘い地獄から解放されたかと思ったら、2匹目がやってきて、延々1時間同じことを始める。

 

どうせ来るのなら2匹同時に来てくれ。1時間で済むから。

 

 

まぁいい。今日は幸い仕事はない。

日頃留守がちで君たちも寂しい思いをしていたんだろう。さぁかまおうじゃないか遊ぼうじゃないか。昼間なら何の影響もないのだよ。

 

と思って猫を見ると…

 

寝てるー!

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私は今からならいくらだって君たちに付き合う余裕があるというのに、君たちときたら寝始めたら、ずっと寝てんだよね。

 

そして、夜中になるとチャージが完了して元気いっぱいとなって、再び運動会が開催される…

 

猫たちに物申す。私が起きてるお昼間に遊ぼうよ、甘えようよ。今でしょ!

 

 

まぁしかし、猫を自分の思う通りに動くようしつけるつもりはない。猫が人間に服従してしまったら、それはもう猫ではないのだ。人間に合わせたりしない気まぐれでマイペースな君たちを愛している。だけど、だけど、もうちょっとこう…タイミングが合えばいいなぁ。

 

 

ブラックビスケッツ タイミング - YouTube

 

その昔、この曲はバラエティ番組の企画から生まれた。アイドルと芸人によるキュートでポップなこの曲は割とヒットしていた。

 

当時はまだネットをやっている人も少なく、発達障害という概念も浸透していなかった。

 

つまり、一人一人の「変わり者」たちが、まだ仲間の存在も知らず、「自分てなんでこうなんだろう…」と一人で思い悩んでいた頃のこと。

 

当時、フリーターだったある一人の「変わり者」は、この曲を聞いて、自分の「タイミング」で良いんだ、と心が軽くなったとか。

 

ヒトも街も宇宙も まわれまわる“タイミング"
ヘンにね合わせ過ぎても たぶん辛いだけさ

たまに間のワルさも 大事なんだね“タイミング"
君と僕のシアワセ 笑いながらいこう

ズレた間のワルさも それも君の“タイミング"
僕のココロ和ます なんてフシギなチカラ

 

 

ではまた。

 

今週のお題「わたしの好きな歌」

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理不尽な世界で、それでも私達は生きていく。

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(4056字)

家賃35,000円のくせに、生意気にも庭があり紫陽花が咲いている我が家。

 

今日は仕事が休みだけど、寝ても寝ても眠い。ブログを書くのに十分な覚醒状態じゃないけど、このままだと皆様に忘れられてしまうので、まとまりのないことをぐだぐだ書く。

 

 

 

私がまだ大学病院で働いていた時、ある20代前半の摂食障害若い女性が入院した。

 

普通、病院では患者1人に主治医1人が対応するが、大学病院では研修機関という意味合いもあるため、1人の患者に対し、オーベン(指導医)、チューベン(中堅の専攻医)、ウンテン(新米の専攻医)、研修医など、2、3人の医師がチーム体制で対応する。と言うと、他の病院より手厚いように聞こえるが、指導医によっては、指導など名ばかりで、仕事を下っ端に全部押し付ける医師も多い。

 

ところで摂食障害と聞くと、「世界中には食べ物がなく餓死してしまう人もいるのに…」と責める気持ちを持つ人も多いくらい、誤解の多い病気である。医療者の中にすら、同じような考えのもとに患者を批判する人もいる。

 

しかし摂食障害は、自分でも行動がコントロールできない、下手すれば死に至る病気なのだ。

 

彼女は以前も入院したことがあったが、その時は拒食、自己誘発性嘔吐、下剤の乱用などが原因で、命に関わるほどにBMIが下がった為、内科と連携しつつの精神科入院だった。

 

今回は、生理が止まるほどのBMIの低下はなく、「普通の子よりは痩せている」程度にとどまっていた。今回の入院は、職場での適応障害から再び拒食を繰り返す恐れがあり、職場環境から離れ休養を取ることが目的であった。

 

当時、彼女を外来で診ていた助教が、下っ端として私を指名し、入院中はその助教と私の2人体制で治療にあたることになった。

 

といいながら実態は、助教は名ばかりの主治医であって、入院中1度も彼女に会う事はなかった。

 

助教は私に、「行動制限療法」をやるように命令したが、私はその命令をしれっと無視した。

 

この助教摂食障害を専門としていて、何かといえばこの行動制限療法を好んで使っていたが、私はこの療法について懐疑的だ。

 

この行動制限療法は、入院開始時にはあらゆる行動が禁止されているところから出発し、例えば

27kg〜病室内自由

28kg〜 病棟内自由

29kg〜売店まで自由

30kg〜作業療法参加可

31kg〜付き添い付き院外外出可

32kg〜付き添い付き院外外泊可

34kg〜退院

 

のように、段階的に行動制限を解除していくことで、目標設定を体重を減らすという病的なことからより健康的な目標にすり替え、自己コントロールを身に付けることで自信を回復させるというもの。

 

この療法は、短期的に見れば割と成功する。摂食障害になる人たちは恐ろしくよく空気を読むので、閉鎖病棟にいる限り拒食ができないと悟ると、頑張って食べ始め、退院できるギリギリの体重を目指す。そして「食べられるようになってよかったです。もう拒食はしないようにがんばります」といった殊勝な発言をしてみせる。

しかし根本的には何も解決はしていない為、退院するや拒食を再開する。

 

結局、心の底から納得してない人間を行動で縛ったところでその効果は一時的なものだ。彼らがどうして摂食障害に至ったか、摂食障害でいることに何の疾病利得があるか、その辺を考える必要がある。

たとえ摂食障害のきっかけが「同級生に太ってるのからかわれた」ということだったとしても、普通は美的コンプレックスだけで病的な摂食障害には至らない。そこには、例えば本人の真面目過ぎる性格や家庭環境など、往々にして複雑な原因が絡み合う。

 

私は摂食障害の人を見るにつけ、ギュンターグラスの「ブリキの太鼓」を思い出す。

この話では、第1次大戦と2次大戦の間のダンツィヒの町に生まれた少年オスカルが3歳の誕生日に大人になることを拒否し自らの成長をとめる。その理由については作中で明かされてはいない。

 

私には、摂食障害の患者たちが、自らの成長を止めたオスカル少年に重なるのだ。

 

様々な摂食障害の患者さんと話すことによって深層心理として見えてくることがある。

体の成長とともに自分に干渉する母親に容姿が似てくることへの恐怖や嫌悪、成長して「大人」になることで自立すること親から見捨てられることへの不安、成長して大人の女性になることで性的な行為をすることへの嫌悪感、あるいは受験勉強に失敗し、自分の思うように偏差値を上げることができなかったが、自分の努力次第で体重を下げることができたため、体重の数値が下がるたびに目に見える達成感を覚えるなど…

 

彼らは方向こそ病的であるが、彼らなりに生きることに一生懸命なのだ。その方向を彼らが本当の意味で幸せとなる考え方や行動に持っていけるように一緒に考えることが大切だ。

 

 

彼女は、はじめ表面上は笑顔をたやさず、そつなく返事をするが、こちらを警戒している印象があった。

 

話してみると、彼女はファイナルファンタジーの曲やBUMP OF CHICKEN等のバンドが好きだと言う。

 

私は行動制限療法など無視して、音楽療法と称し、彼女と週に2、3回作業療法室を借りては一緒に音楽をした。私がピアノを弾いて彼女が歌ったり、連弾をしたり、私の伴奏で彼女がフルートを吹いたりした。音楽の魔力のせいか、彼女は急速に私に打ち解けていった。

 

そのうち彼女は作詞や作曲を始めた。彼女は素晴らしい感性をしていた。私も感想を言ったり、一緒に曲作りを手伝ったりした。彼女は「歌ったりフルート吹くとお腹が空くわ」と言ってご飯をもりもりと食べた。今まで拒食をしていたときには不思議なことに空腹感など感じなかったと言う。

空腹感は、彼女の体と心が「生きたい」と訴えているしるしだ、と私には感じられた。

 

彼女はBUMP OF CHICKENのギルドを心の底から叫ぶように、泣きながら歌った。

 

愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて
逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる
汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ
構わないから その姿で 生きるべきなんだよ
それも全て 気が狂う程 まともな日常

 

彼女は言った。

退院したら、自分にできる程度に無理なく働いて、お金貯めてギターを買う。それでバンドを組みたい。

 

この頃には、彼女を悩ませたもう一つの強迫的なある行動も目立たなくなっていた。そろそろ退院できる頃合いだと思った。

 

退院を間近に控えたある日、退院後の外来での主治医になってほしいと彼女は私に言った。彼女の母親も同意見だった。

私としては断る理由はなかった。

 

 

ところがここにきて助教が、「彼女は私が診ます」と言い出した。理由は、「彼女の体重が増えていないため治療は失敗、あなたには任せられない」ということだった。

 

確かに摂食障害の治療では、極限時には体重を増やすことが最重要事項になる。でも今回の彼女の入院は摂食障害によるものではなく適応障害によるものだった。

そもそもろくに何の話も聞かず、体重が落ちるからといって散歩ひとつさせずに1日中ベッドの上で過ごさせ、これでもかと大量の食事をさせ、一時的にフォアグラのように太らせることが何の治療と言うのだろう。

彼女の体重があまり増えなかったのは、彼女が歌ったりフルートを吹いたりしたからであるが、何が問題だと言うのだろう。彼女は摂食障害のことを忘れる位やりたいことができたのだ。

 

彼女は、私が外来担当になれないと聞いて泣いた。

私は彼女に言った。

世界は理不尽なんだよ。

理不尽な世界に対して、私たちは無力だけど、例えばあなたは歌を作って、歌うことで理不尽な世界に少しでも爪を立てて反撃をすることもできる。

 

 

彼女は泣き顔のまま笑顔を見せた。その笑顔は初めて会った時の張り付いたような笑顔とは違っていた。

 

 

 

ギルド

歌:BUMP OF CHICKEN

作詞:藤原基央

作曲:藤原基央

人間という仕事を与えられて どれくらいだ
相応しいだけの給料 貰った気は少しもしない

いつの間にかの思い違い 「仕事ではない」 解っていた
それもどうやら手遅れ 仕事でしかなくなっていた

悲しいんじゃなくて 疲れただけ
休みをください 誰に言うつもりだろう

奪われたのは何だ 奪い取ったのは何だ
繰り返して 少しずつ 忘れたんだろうか
汚れちゃったのはどっちだ 世界か自分の方か
いずれにせよ その瞳は 開けるべきなんだよ
それが全て 気が狂う程 まともな日常

腹を空かせた抜け殻 動かないで 餌を待って
誰か構ってくれないか 喋らないで 思っているだけ

人間という仕事をクビになって どれくらいだ
とりあえず汗流して 努力をしたつもりでいただけ

思い出したんだ 色んな事を
向き合えるかな 沢山の眩しさと

美しくなんかなくて 優しくも出来なくて
それでも呼吸が続く事は 許されるだろうか
その場しのぎで笑って 鏡の前で泣いて
当たり前だろう 隠してるから 気付かれないんだよ
夜と朝を なぞるだけの まともな日常

愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて
逃げ込んだ檻 その隙間から引きずり出してやる
汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ
構わないから その姿で 生きるべきなんだよ
それも全て 気が狂う程 まともな日常

与えられて クビになって どれくらいだ 何してんだ
望んだんだ 選んだんだ 「仕事ではない」 解っていた

ギルド live - ニコニコ動画

 

ではまた。

今週のお題「わたしの好きな歌」

 

 

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チュニジア人との会話・なんちゃって認知療法恋愛編

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私は最近とても、えらい。

えらいと言うのは、鳥取弁で「疲れた、しんどい」と言う意味だ。

 

4月から、訳あって病院を掛け持ちしている。以前から時々バイトしていた病院の先生が病気になって休まざるをえなくなったためなんだけど、当初は「ゴールデンウィークあたりまで」という事だったので、お安い御用と引き受けたのだ。しかし、そのうち先生がもう1人倒れ、担当する患者さんの数が増えた。そして、GWまでと言われていたのが、6月までお願い、7月まで… 、と引き延ばされ、最近ついに「8月までお願いすることになりそう」と言われた。理由が理由なだけに断ることもできず、ズルズルと引き受けてはいるのだけど、さすがにじわじわと疲れが溜まってきた。

 

もう無理もう無理!金は要らねぇ、時間が、休みが、自由が欲しい!

 

ということで、9月に前もって1週間休みを入れてしまおうと目論んでいる。もう一つの病院は理解があるので、休もうと思ったら基本的にはいつでも休ませてもらえる。

 

8月を無事乗り切ったら、9月にリゾート地でボーっとするぞ。と決めて、1週間セブ島に留学しようと目論んでいる。ここの医療英語が学べるコースで昼は勉強して、夜はセレブみたいにプールサイドで泳いだり寝転んだりしながらトロピカルジュースとかカクテルとか飲んで本でも読むんだ!

時間貧乏性なので、どうしても1日中ぼーっとすると言う発想にはならない。

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こんな状態でも一応、英語とフランス語のスカイプ会話レッスンは続けている。

大抵自分の食事の時間に当てて、ご飯を食べながらしている。相手にも遠慮せず食事などしてもいいと伝えている。

 

パスタを食べながら授業(雑談)しているチュニジア人のSちゃんが、「こんなこと言ってもいいのかわからないんだけど、正直言って、あなたと喋っていると授業してる気がしなくて、ついつい友達みたいに思ってしまう。本当はいけないのかもしれないけど。」と言う。

一緒に食事をしながらしゃべるとリラックスするし、内容が雑談だからそうなるのかもしれない。フィリピン人はフィリピン人で、「わ〜、久しぶり!うれしい、私あなたのファンなの!」とホステスばりの歓待をくれる講師もいる。リップサービスだろうとわかっていても悪い気はしない。

 

私が精神科医であるせいか、彼らは自分の個人的なことをどんどんしゃべる。最近知り合ったフィリピン人講師は、昔うつ病で5回自殺未遂をして入院したことがあると打ち明けた。

 

Sちゃんも、精神科にかかっていた。現在28歳の彼女は、大学生の時に初めて付き合った大学講師に裏切られ、不眠、食欲不振、精神の不安定な状態が続き、精神科を受診したのだという。

 

彼女は大学時代に、その講師に初めて褒められ、好きだと言われて舞い上がってしまった。でも講師には妻がいて、よくある「今別居していて、完全に離婚するまで待っててくれ」という言葉を信じ、友人にも彼の存在は告げず、ひっそりと付き合いを続けていた。

彼は、「愛している、きれいだ、会いたい」のような言葉は惜しみなく与えるが、連絡は常に相手からで、自分からしてはいけないと言うルールがあった。

 

ある日、Sちゃんはおしゃれをしてがんばって凝った料理を作って、彼を待った。その日は彼女の誕生日だったので、会う約束をしていたのだ。

 

それなのに、彼は何も言わず約束をすっぽかした。その日から急に連絡が取れなくなった。彼女はふられたんだとわかった。

 

そうなってから初めて彼女は友人たちに相談した。そしてわかったのは、その講師は彼女だけじゃなく、多くの他の女生徒達と関係を持っていたということ。

 

端から見れば、子供ができる前にわかってよかったことなんだけど、Sちゃんにしてみれば、初めて付き合った男性であり、彼のことを信じていたため、ショックは大きかったようだ。

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それから早10年ほど経った今になって、その講師がFacebook経由でSちゃんに再び連絡をとってきたという。

 

大方片っ端から声をかけて言ってるんだろうけど、その男は今パリにいて、パリ時間午前4時から彼女に電話をかけ、「寂しい。君が忘れられない。会いたい…」と言ったそうだ。その時チュニジア時間は午前3時。

 

端から見たら完全に瞬殺すべき案件だけど、昔好きだった相手からの国境を越えた電話は、若い女の子をときめかせるシチュエーションなのかもしれない。彼女は迷っていると言う。

 

私は彼女に白い紙を用意してもらった。

そして、真ん中に縦線を入れ、右側に「言葉」、左側に「行動」と書いてもらった。

「言葉」の欄には、その男が話した言葉を記入。

「行動」の欄には、その男がした行動を記入。

 

そして、「言葉」の欄を大きくバッテンするように言った。真実は「言葉」の欄にはなく「行動」の欄にのみあるのだと説明した。

 

 

彼女は改めて、自分の書き込んだ「行動」の欄を読み上げ、「この男、クソだ!」と笑い転げた。

 

 

 

大笑いをした後、彼女は少しだけ泣いた。

 

 

こうして、その日のレッスンは終了した。

しかし何のレッスンだこれ…?

 

ではまた。

 

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頼られる喜びと、手放す勇気

 

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以前、深夜の当直の時間に、師長に畑構想について話したことを下の記事に書いた。

 

 

nkobi1121.hatenablog.com

 

まずは、場所が準備できるまでは、とりあえずプランターからということになった。早速行動に移してくれるのがうれしい。

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今日も患者さんが私に「イチゴの実がついたよ」「ゴーヤを一緒に見に行こう!」と話しかけてくれる。

 

それまで1日部屋でぼんやりとしていただけの意外な患者さんが、率先して水やりに行ったり、

 

「昔、家の庭で畑してた。今日、何十年ぶりかに土触った」と喜んだり、

 

こうして収穫を迎えたら、作業療法の時間にみんなで調理して食べる。私もご相伴に預かる気満々。笑

 

 

この畑構想は、ずっと部屋の中にいる閉鎖病棟の患者さんたちが畑作業をすることで、

①日中に日光を浴びるので、夜に眠りを催すメラトニンがしっかり作られる。外に出ることで昼夜逆転を防げる。

②体を使うのでいい運動になり、肥満も便秘も解消でき、心地よい疲れで深い眠りが得られる。

③土を触ることで精神の安定が得られる。

④季節の変化がほど良い刺激を与える。

⑤患者同士の良いコミュニケーションになる。

⑥自分たちで主体的に作物を育てることで、自信を持つことができる。

 

こうした狙いから始めたものなんだけど、実際やってみると、意外と特に⑥の効果があった。

 

閉鎖病棟の患者さんたちは、自ら動かなくても衣食住に困る事がなく暮らすことができている。

でも、無気力だった患者さんたちが、自発的に水やりや草取りをしている時の「私が、あれしたんよ!」と言う生き生きとした誇らしげな表情を見るにつけ、何不自由なく暮らす事は必ずしも幸せというわけではないのだと気づかされる。

 

朝昼晩と自分の部屋に食事が届けられる引きこもりの子供や中年。不自由は無いが、幸せでないのは明らかだ。

 

本当は何もかも与えられるよりも、自分にできそうな作業を頼まれ、喜ばれ褒められ感謝されることの方が何倍も嬉しいものじゃないか。

 

引きこもりのご家族の方は、どうにかうまいこと子供に何かの作業を与え、褒めて感謝して頼って、その子に何らかの役割を作ってみたらどうだろうか。

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このように、私たちは単にものを与えられるのでなく、感謝されたり頼られたりする事によって喜びを感じることができるのだけど、時にこの「頼られる喜び」を諦め手放した方が良い場合もある。

 

 

最近は、高齢者の免許返納等について議論が盛んだ。私の考えとしては、ある程度の高齢になると認知能力の個人差が大きいので、年齢を区切りとするのでなく、認知機能のテストや運転中のヒヤリハット等を判断材料とするべきだと思っている。

 

認知機能や運転能力が怪しくなってもなかなか免許返納が進まないのは、もちろん車がないと不便であることが1番だろう。でもそれだけでなく、人はそれまで自分ができていた事を、できなくなったと認めることや諦める事がなかなかできないのではないだろうか。

 

頼られたり感謝されたりすることに人は喜びを感じる。それを諦めるのは、その喜びが奪われるということである。なかなかあきらめられないのも無理もない。

 

「決してあきらめない!」と言う言葉は、ポジティブで賞賛すべき態度というイメージが強い。でも、人の命がかかっていることについては、潔く諦めることが必要だ。

 

私の家はあまりしつけに厳しくない放任家庭であり、私は自由奔放に育ってきたが、両親は、当時並外れて注意力の欠如していた私に、車の運転と揚げ物の料理をすることを禁じた。これらは、うっかりすると自分が死ぬだけでなく他人を殺してしまう恐れがあるからだ。

 

大人になり、注意力の欠如はかなりコントロールできるようになり、車は免許も一応取ったが、それでも私は車の運転も揚げ物料理もしない。

下手をすれば人を巻き込んで事故を起こしてしまうかもしれないことに関しては、自分の能力は低めに見積もっておいた方がいいと思う。

 

私はそれほどプライドが高くないので、こうしたことをすんなりあきらめることができるが、プライドや向上心の人一倍高い医者という職業の人たちは、なかなかこれができない。

 

 

脳出血から高次脳機能障害にかかってしまった外科医の実話をもとにした漫画を読んだ。

renta.papy.co.jp

 

高次脳機能障害では、次のような症状が現れる。

 

半側空間無視、着衣失行

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視空間性認知障害

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注意障害、記憶障害

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この先生はとても真面目で熱心な人で、困難にも負けず立ち向かう。患者でもあるから患者の気持ちも当然わかる、その点で言えば素晴らしい先生だと思う。

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ただ、高次脳機能障害になったにもかかわらず、彼女は車の運転をしようとしたり、再び医師として働いたりもしていた。外科医に戻ることを望みさえもしていた。

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彼女は自分の自信を回復させるために、まずは「ほんのちっぽけな事でも良い」と教習所通いを始める。外科医をしていた能力の高い彼女からしてみれば、車の運転は「ちっぽけなこと」と思われたかもしれない。しかしその「ちっぽけなこと」は、実際は人をも殺すリスクを秘めた行為なのだ。

 

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「自分は頑張ればきっとできるはず!」と彼女はなかなかそれまでのキャリアを捨てきれずにいたようだ。でも、人の命がかかるようなことに関しては、「ほぼできる」ではダメなのだ。100回中99回成功しても、残りの1回で人を殺したらアウトだ。私たち医者のかわりはいくらでもいる。この状況で、自己実現固執するのは残念ながらたんなるエゴと言わざるを得ない。

 

 

群馬大の腹腔鏡手術で8名、開腹手術で10名の死者を出した医師は、いったい何人殺せば、自分に手術は無理と認め、あきらめるつもりだったのか。

diamond.jp

これがどんなに練習しても誰も死なないような、例えば4回転半ジャンプの練習だったら何度失敗しても何度でもチャレンジすればいい。でも失敗して人が死ぬような事は、車の運転だろうが手術だろうが、自分の能力を見極めて撤退する潔さが必要だ。何でもネバーギブアップの精神でいけばいいというもんではない。

 

 

ところで、私は長いことピアノを触っていなかったが、3年ほど前から再びピアノを触りだした。きっかけは、境界悪性の腫瘍が見つかったからだ。

 

私は自分の仕事が嫌いじゃない。でも、もし自分がこの先末期ガンになり、痛み止めとしてモルヒネが必要な状態になったら、医者をやめて、いろいろな病院を回ってボランティアでピアノでも弾こうかなと思っている。モルヒネで頭がぼーっとした状態で医者として治療を続ける自信がないからだ。ピアノ演奏ならその点、自分がぼーっとすることで他人の命を危険にさらす事は無い。

 

自分がそれまでできたものができなくなるのは寂しいことだけど、できないにもかかわらずそれに執着していれば、かえって人に害を為すことになる。引き際が肝心だ。マンガの女医さんは、結局メスを握ることを諦め、講演活動や執筆活動を精力的になさっている。自分を生かす道はきっと、他にもあるはずだ。

 

じゃあ、ピアノも弾けなければ講演活動もできない自分はもう、他人の役に立つことはできないのか、と思うかもしれない。でも、たとえ年を取りみずから動けなくなったとしても、人をほめたり、感謝したり、好意を口にしたり、微笑むだけでも、誰かに喜びを与えることはできる。

誰かに頼られるような人生の舞台から降りても、裏方としてあくまで自分のできる範囲で、自分を活かすことができれば、死ぬまでそこそこ幸せなのではないかな。

 

 

ではまた。

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精神疾患を持つ人は、犯罪者予備軍だろうか?

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最近はほとんど記事が読めてなくて世の中で起こっている出来事についていってない気がする。

時間がないので、申し訳ないがタイトルを見てこれはと思った記事だけ読んでいる。タイトルって大事だね。でもこんなこと言うと、タイトルばかり凝ってくる人もいるかもしれないか。

 

ももはなさんの次の記事のタイトルを見て精神科医的には素通りできないので拝読した。

however-down.hatenablog.com

 

池田小事件の宅間…

秋葉原事件の加藤…

新幹線事件の小島…

 

そして、

川崎市の無差別通り魔……

吹田の拳銃強盗……

どんな状態の人間だったのだろうか……

 

 

全員、様々な原因でメンヘラになってから犯行に及んでいるのではないか?

当然、快楽殺人鬼も先天的な異常者。

 

つまり、精神病患者は健常者より無差別殺人を行う確率が高いと暗に示しているのでは?

 

 

私は特にももはなさんの意見を否定するつもりはない。

ももはなさんは、自分の意見が偏見であることもわかっていて、異論が来ることも承知の上でこの記事を書いている。あくまで「私は、こうする。」と言うスタンスで、他者に自分の意見を強要するようなこともない。それは潔いと思う。

 

口にこそ出さないがももはなさんのように考えてらっしゃる方は多いと思う。自分の大事な人や自分自身の命を守るために、危機感を持つ事は大事なことだ。私自身、自分が殺されるかもしれないと思いながら日々働いている。実際、医者も看護師も患者さんに殴られたり蹴られたり噛まれたりしているからね。

 

ただ、もし精神疾患を持つ人を即、犯罪者予備軍のように捉えてしまうことがあれば、そこには論理の飛躍があると私は思う。

 

 

飛行機事故は、しょっちゅう起こっているような印象があるが、実際は、飛行機で死亡事故に遭遇する確率は10万分の1未満の確率だそうだ。にもかかわらず、私たちは死亡事故に遭遇する確率がはるかに高いはずの車よりも飛行機に乗ることの方を恐れる傾向にある。

 

これは、利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)、または想起ヒューリスティックによるバイアスで説明できる。

飛行機事故はいちど起こってしまうと、死傷者数の多さから大々的に報道される傾向にあり、人々の記憶に残りやすい。それ故実際に起こる確率に拘らず飛行機を恐れる人は多い。

 

通り魔殺人にもこのバイアスがかかっていると思われる。

 

 

さて、昔皆さんが習った集合の図を使って考えてみよう。十分条件とか必要条件とか言い出さないので安心して読んでね。

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(わかりやすいように大雑把な数字を使います。)

 

日本人全体の数が1億2000万強、精神科にかかっている患者さんの数が現在約300万ほど。ただし、精神科にかかっていない潜在的患者さんは、この数倍いると思われる。(調べても見つからなかったが、私の感覚的には、この3、4倍はいると考える。うつ病にかかっていながらも仕事が休めず1度も受診をしたことがない人、家族は困っていても本人に自覚がないため受診をしない発達障害、パーソナリティー障害、ギャンブル依存症の人、本人が暴れるため家族が連れて来れない状態で放置されている統合失調症の人、など。)おそらく潜在的精神疾患も含めると1千万人は超えると推測する。

 

これに対して、年間の殺人事件の件数は近年は1000件よりちょっと多い位。この中でさらに通り魔殺人になると、年平均で6、7件といったところ。

 

この円の重なり具合は不明であるが、一般的に犯罪件数は、精神科疾患の人の方が少ないとされている。にもかかわらず精神科疾患の犯罪件数の方が多いように錯覚してしまうのは、メディアによる「犯人は精神科歴があり〜」と言う文言が耳に残るからだろう。これもヒューリスティックバイアスで、犯人に精神科歴がない場合「犯人は精神科歴がなく〜」などとは言われない。しかしこちらのベースの方が本来圧倒的に多いのだ。

 

これが通り魔殺人になると、確かに精神科疾患を持った人間の割合の方が多くなるかもしれない。

 

ただ、注目していただきたいのは、たとえ通り魔殺人をする人がすべて精神疾患を持つ人だったとしても、日本で精神疾患を持つ人たち全体の割合から考えれば、あまりに小さい割合なのだ。

 

T<<<M<<<<P<U

 

さらに言えば

T(通り魔殺人件数)とP(精神科疾患者数)の割合、

P(精神科疾患者数)とU(日本国民全体数)の割合、

 

それぞれの大きさについて思いを馳せると見えてくるものもあるかと思う。

 

私の考えとしては、

・T/Pの小ささを考えれば、通り魔殺人があったからと精神科疾患全体を恐れることは特に合理的とは思えない。

 

・P/Uの決して小さくない割合を考えれば、この日本という国では誰が精神疾患になってもおかしくないのではないか、と考える。

 

こうしてみると、精神疾患の人とそうじゃない人を分けて論じるのもあまり意味がない気がする。

極論を言ってしまえば、このストレスの多い日本で生きる私たち日本人は現在精神疾患を持ってない人もみんな精神疾患予備軍じゃないか。

 

 

精神疾患者を恐れたり警戒したりするなとは言わない。

 

ただ、私が恐れるのは、次のようなことだ。

社会全体が精神疾患を持つ人間全体に対して厳しい見方をするようになれば、本来軽症の人が病気の発覚を恐れて治療を受けなくなり、その結果重症化する可能性が出てくる。

また、例えば強迫性障害という病気の症状の1つである加害恐怖が悪化する可能性が出てくる。

 

*加害恐怖: 誰かを傷つけたり殺してしまったのではないかと不安になり、周囲の人に確認したり、新聞やテレビの報道を確認する。実際には誰かを傷つけてしまいそうな場面に遭遇していなくても、頭の中にイメージが浮かんできて不安になる。

 

自身で「彼らに気をつけよう」と思うのはいいが、もともと村八分の気質のある日本人が、ただでさえ自殺に向かいやすい精神疾患の人を追い詰めることがあってはいけないと思う。

 

 

もう一つ、ももはなさんがあげた知的障害者の性犯罪の件。

 

web.smartnews.com

知的障害で、衝動の抑制が出来ないと裁判長は公的に述べ肯定している。

 

 

こんなのが3年8カ月でまたその辺をフラフラする状況…

 

「精神病患者には危ないから近寄るな」と同様「知的障害者には危ないから近寄るな」と注意喚起をしないのだろうか?してはいけないのだろうか?

 

こういうことがあると、知的障害者を恐れる気持ちはわかる。

 私は、性犯罪者は健常者だろうと知的障碍者だろうと去勢すべきだと思っている。

 

ただ、果たして知的障害者が健常者よりもこういった事件を起こす確率が高いのだろうか。

 

男性の性欲については、時にステイタスの高い人間が性欲に負けて犯罪に手を出し、全てを失うことがある。そのくらい人によっては強い欲なので、健常者もよく犯罪を起こしている。

ただ健常者の場合は、知的障害者よりも知恵が回るため、巧妙に口止めをしたり証拠隠滅をしたりする。そのため顕在化している犯罪よりは実際もっと多いと考えられる。

 

報道のたびに「犯人は精神科歴があり〜」「犯人は知的障害があり〜」「犯人は発達障害があり〜」と言う言葉を耳にすると、まるでいつもそうした人たちばかりが犯罪をしているように思えてしまう。

 

そんなこと言ったら私も精神科歴があるから、犯罪者予備軍かもね。笑

 私の精神科受診歴(といっても1回だけだけど)については下の1連の記事の⑩をご参照ください。

nkobi1121.hatenablog.com 

nkobi1121.hatenablog.com

 

事件のたびに マスコミが「精神科歴」を流すのは、人々の欲しがっている情報を出しているのかもしれないけど、もしかしたら人々の目を「精神疾患」に向けさせることで、今の日本社会のマズさから目をそらさせることが目的だろうか、などと考えてしまう。

 

マスコミの流すものを見るだけではなく、自分で能動的に調べたり数値を可視化したりする事で、なるべく冷静に物事を俯瞰し、実態を正しく把握したうえで対策を考えたい。

 

ではまた。

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げんなりした1日。

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わがブログの記事は、いつもほとんど役に立たない記事だけど、特に今日は自分による自分のための単なる愚痴なので、飛ばしてくれて大いに構わない。

 

ここのところ疲れとストレスが解消されないまま次の疲れとストレスが上乗せされてしまうので、どこかで吐き出さないと、このままでは頭がおかしくなって人通りの多い街中で、「うおぉぉぉ!!」と叫びながら、鉄の棒を振り上げ…

 

 

バトントワリングを始めてしまうかもしれない。

 

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そうならないために、自分のために書く。書いた時点で多分気が済むので、特に読者は求めていない。

 

ゲンナリした1日」と書いたが、この1日は昨日の9時から始まった。

 

朝9時に、いつものように医局の出席簿に名前を書き、前の日までの出来事をチェックするなど諸々のことをした後、1人になれる当直室に向かう。

 

ここの当直室は、他の病院と比較すると広くて綺麗でトイレも風呂もキッチンも冷蔵庫も大きめのテレビもあり、ちょっとしたホテルのように快適に過ごせる。私が病院を選ぶ上で、快適な場所で1人で過ごせるというのはほぼ最優先事項となる大切なことなのだ。ただ掃除の人が入るのが昼からなので、それまでちょっと部屋が汚い時もあるのはまぁしょうがない。

 

…と思ってたんだけどね、これはひどくない?

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流しに、ラーメン食べたあとらしき鍋がそのまま置きっぱなし。掃除の人はオマエのオカンじゃねぇ!臭いはひどいし、こんなん放置されたら夏場はゴキブリが発生する!これはさすがにその医者に言おうと思った。

 

しゃあないから今日位は医局で過ごすかと思った時、ばったりと通り掛かった事務長にそれを言ったら、迅速に行動してくれて、私が病棟回ってるうちに部屋は快適に戻してくれていた。ありがたい。それにしてもあんな部屋の使い方をするやつには、ゴキブリを煮出したコーヒーでも入れてやろうか!

 

その日はとても忙しかった。イレウスだ腎不全だ誰が暴れた…と1日走り回り、夜は夜で救急当番だったので、警察に両脇をがっちり抱えられた、大声で奇声を発して興奮し暴れる男性と家族がやってきた。診察して医療保護入院にして、隔離室に入ってもらう。本人とは全く疎通が取れず、付き添いの家族2人は、2人が全く逆のことを答えるから、何が何やらっちゅう感じで、例えば、最初に入った情報では「入院歴なし」と言う事なのに、後々聞くと「何度も入院している」と答えるし…

 

一連の入院手続きが終わったのが夜の11時。やれやれ、長い1日が終わった。

 

…ところが1日はこれで終わらなかった。

12時を回ってから、「患者さんの容態が急変した」と看護師から電話があり、すぐに病棟に向かう。

 

この患者さんは末期のガンで、うちの病院で麻薬を使って緩和ケアをしながら、看取りの方向という話だった。

 

ご家族を呼び、何とか家族は患者さんの最期に間に合った。

死亡確認をし、死亡診断書を書き、全てが終わったのが午前3時。

 

長い1日だったなぁ…

いつもは朝4時から5時の間に起きるけど、今日は7時に起きればいいや。と7時に目覚ましをかけて寝る。

 

ところがどっこい、これで終わらなかったんだなこれが。

 

朝の6時に看護師から電話が入る。

「カルテに書き直してほしい部分があるから来てほしい」とのこと。

 

それって、朝の6時に呼び出す必要があること…?と思いつつも、自分に過失があるのならそれはしょうがないと、眠い目をこすりつつ詰所に向かう。

 

看護師は、入院時の1枚目のカルテを丸々、新しい紙に書き直して欲しいと言った。うちの病院は紙カルテなので、コピペで一瞬で終わるようなものでなく、私は10行以上書いたカルテ記事を、違う紙に書かないといけなくなった。

 

「何がいけなかったの?」と看護師に尋ねると、びっくりする返事が返ってきた。

 

私が、隔離開始のハンコと拘束開始のハンコと間違って押してしまったんです。

 

え? それって私のミスじゃないよね??

 

看護師はしれっと答えた。

「そうですね。私のミスです。すみません」

 

普段はまあまあ温厚な私も、疲れていたしさすがにちょっと腹が立った。

 

これが、患者さんが暴れていたり、転倒や胸痛など、緊急を要することなら、私はどんな時間に呼ばれても全く腹は立たない。これでお給料もらってるんだし。

 

でも、緊急性の欠片もない事務処理で、しかも私の過失でないことで、よりによって午前3時まで18時間ぶっ続けで働き続けた人間に、午前6時に呼ぶ必要あるか?私は午前9時に仕事上がって帰るんだから、午前8時に呼んでくれても全く遅くないんだが。

 

すると、「守衛さんから、先生が8時に上がるって聞いたんで…」とか、「でも私も寝てないんです」とか答える。

 

あのね、午後5時から出勤の夜勤ナースが「夜寝てない」と言うのは、日勤ナースが「日中全く寝てないんです」と言うのと同じであり、もっと言えば、普通に昼間働いてる人たちが、「日中寝てません」と言うのと同じなんだよね。

 

看護師は、1日二交代制か三交代制で、忙しくなければ交代で仮眠も取れる。

医者は、大抵人が足りないので昼間働いてる人間が夜そのまま当直に入ることが多い。そのため、夜中はよっぽどなことがない限り呼ぶのは避けてもらわないと、ほんとにしんどい。看護師も医者に言いたいことがあるかもしれないけど、そこはわかってほしい。でないと当直する医者がいなくなる。

 

でも、帰りしなに事情を知った師長から平謝りされた。あのナースはきっと師長から指導を受けるだろう。

 

ヘトヘトになってJRに乗ろうとしたら、「遅延」となっており、とぼとぼと山陽電車に向かう。

 

ストレスを理由に焼き鳥と御座候(大判焼き今川焼き)を買って帰る。

 

猫たちが玄関で迎え…

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焼き鳥と御座候を食べて、寝る。

猫2匹が寄り添って寝る。これでストレスの80%が解消。

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これを書いたことで、ストレスの100%が解消!皆様ご協力ありがとう。

 

ではまた。

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