猫にそんなこと聞かないで。

発達障害とか精神科医とか猫とか外国とかの話

すいません、職業詐称してました。

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こんにちは、猫pです。

 

ついこないだまで4回までかけて壮大なる自己紹介をし、「嘘は一切ついてません!」とかなんとか言った舌の根も乾かぬうちにこれですわ。人を簡単に信じちゃいけませんよ皆さん。

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私にとって何より優先するもの、それは私自身の精神衛生を良い状態に保つこと。そのためには、人に嫌われても知ったこっちゃない、くらいに思っている。

 

子供の頃は、よく親に「一言多い」とか「屁理屈」とよく言われるように、言わずにいられない性格で、多分そんなこともあって嫌われたりしたんじゃないかと思う。

 

そして、今でも言いたい事を基本的に我慢する事はない。ただ言い方を考えた上で口にするため、トラブルに発展する事はほとんどない。

 

私は基本的に、「我慢」や「忍耐」はしない。これらは日本では美徳と思われているけど、私はそう思わない。日本人が我慢や忍耐をしすぎるために、いつも精神科は満員御礼である。おかげさまで食いっぱぐれがないよ。

 

そうはいっても、いい大人なんだから我慢や忍耐は避けられないじゃないか、我慢や忍耐をしないのはただのわがままなんじゃないか、と思う人もいるかもしれない。

 

私は我慢や忍耐をしない代わりに、それらをしないで済むための工夫や努力を惜しまない。

 

今、ある病院の先生が倒れたためヘルプでそこの病院にも行っているが、そこでも個室を使わせてもらって快適に仕事をしている。そこの病院の他の部屋でくつろいでいる不良債権のようなおっさん医師が仕事もそこそこに1日中テレビばっかり見ている。知識のアップデートもせずテレビばかり見ているこのおっさんはきっと子供の頃から親に医者になれと尻を叩かれ嫌々ながら我慢して我慢して勉強して医者になったんだろうな。だから勉強に対して良いイメージを持ってなくて、勉強しなくても誰も咎めなくなったからもう勉強しないんだろう。やれやれだ。

 

私は受験勉強を我慢や忍耐でストレスを溜めたくなかったため、それなりに工夫した。おかげで勉強に対して今でも嫌なイメージはなく、勉強することに対してストレスはない。

 

このように一切我慢をしない私が我慢を強いられそうな場に居合わせた時のことをふと思い出した。

 

あれは私がまだ20代前半だったと思う。あるお店でカレーだったかパスタだったかを注文してまもなく、店に1人のチンピラが入ってきた。

 

最初はただのクレーマーかと思ったが、やけに粘着質にしかも他の客の迷惑もかまわずドスを聞かせた大声でわめき脅す。地上げ屋が雇ったチンピラ、という印象だ。

 

私の他にも客はいたが、その客はまだ注文していなかったため、帰ってしまった。

 

その店はどうやら、店長1人しかいないため、店長がこのチンピラに応対している限り私の食事は作られないということがわかった。

 

私はもともと我慢をしない人間であるが、空腹こそ最も我慢ができないことでもあり、空腹の状態が閾値を超えると、それを解決するため、私の脳内プログラムは常軌を逸した行動を指示する。

 

私はおもむろに店でがなりたてている男の前に立つと、言った。

 

「お取り込み中のところ失礼ですけど、私、非番中の警察官なんです。お困りみたいですね。うちの署すぐそこにあるんで、よければお話聞きますよ。」

(`・ω・´)キリッ

 

するとそのチンピラ、「はぁ〜?」とか何とか言っていたけど、ちょっとトーンダウンして、「サツがこんなとこでメシ食ってんじゃねーよ!」と捨て台詞を残し、戸をバーンと音を立てて閉めながら去っていった。そして私は何とか食事にありついた。

 

職業詐称はいけないけどね、まだ20代前半の小娘だったので、そのくらいのハッタリはかまさないとね。

 

いくら我慢ができない性格だからって、これだといつか殺されるかもなぁと思いながら、のうのうと生きてます。笑

 

ではまた。

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今更ながら自己紹介(後編)

 

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こんにちは、猫pです。

今日は、自己紹介後編です。

どんだけ長い自己紹介なんだか…

 


それにしても最近ブログの更新ペースがかなり落ちていたせいか、アクセス数も低迷してたんですが、自己紹介書いてから、アクセスまた増えました。こんな、まけもけ先生のキャッチフレーズ「読んで損する」をまさに体現するような、時間を奪うだけで何の役にも立たない私の自己紹介を読んでもらえるとは嬉しい限り。

 
後編は以前から読んでくださっている読者さんには新鮮味がないものとなります、ご了承ください。

 

ちなみに文中のPtは、patient(患者)の略ですが、切り株親父様にプラチナと言っていただけたので、今後は私の患者さんのことを私のプラチナさんと呼ぶことにします。

 

 


【現病歴(続き)】

こうして、世間から「頭の悪い子」と思われ、自身もそう思っていながら、状況を変えようなどとは思いもせず、ひたすら何も考えず受け身で他人が与えた選択をそのまま受け入れるという、主体性のない生活のまま短大生になった怠け者のPt。

 
その短大は山の上にあり、特に娯楽がないため相変わらずゴロゴロと漫画を読んでばかりの生活であった。

 
大学生活はどうだったかと言うと、実は数えるほどしか行ってないのであった。これは怠け者だったせいもあるが、この頃からひどくなりだした喘息のせいもあった。

 
夜中から明け方にかけての喘息発作は毎晩あり、3日に1度は病院で点滴治療を受けているという状態であった。今思うと、部屋が汚かったことも原因として大きいなぁとも思う。

 
あまりに喘息の症状がひどいので、「あー私はもうすぐ死ぬんだろうなぁ…」とPtは本気で思っていた。

 


その時ふと考えたのだった。ここで死んだら私何のために生まれたんだろう。何も見ず何も聞かず人とも深く関わらず何かを深く考えることも求めることもせず、ただただ惰眠を貪るだけの日々。

 
Ptは焦った。ちょっと待ってちょっと待って!どうせ今死ぬんなら、その前にもっと本気で何かを味わいたい。私まだ何もしてないのに、ここで死ぬの…?

遅い自我の目覚めであった。

 
どうせもうすぐ死ぬんなら、もっと自分の知らない大きな世界を見てから死にたい。

そう思った時にふと「ナポリを見て死ね」という有名な言葉が頭に降ってきた。

でも、「ナポリか〜、ナポリタンスパゲティぐらいしか知らないや」(ナポリごめん…)

 


Ptは考えた。世界と言えばやっぱりアメリカだな。でもカリフォルニアはちょっと嫌だな。だって、青空の下みんなTシャツ着て丸く和になって座って、ギター弾いて歌い出したりママお手製のアップルパイを振る舞われたりと、暑苦しい付き合いがありそうだ。(すごい偏見)ニューヨークだろうなやっぱり。

とか思いながらPtは今まで外国に興味を持ったことなど全くなく、ど田舎しか知らず、当然英語も全くできない状態だった。

 
しかし留学する金はあった。

Ptは夜中から明け方まで喘息発作に苦しんで寝られないため、明け方からやっと眠りにつき、目が覚めるのが短大の授業が終わる3時頃であった。夕方から暇でしょうがなかったPtは、水商売のバイトをしていた同級生の紹介で、あるバーにてピアノ弾くバイトをしていたのだ。


Ptはまともにピアノを習ったことがない自己流のためへたくそではあったが、リクエストに応じることができることから重宝され、時給2000円ほどで働いていたがこれは田舎ではまあまあ破格であった。

 
そういうわけで、短大2年の夏休みに1ヵ月ニューヨークで語学留学をしてきたPt。驚いたことに、その間たった1度も喘息発作が出なかったのだ。今から思うに、精神的な要因もあったのだろう。喘息という病気は精神状態に連動しやすい。Ptは、「空気を読む」ことが求められていた日本を出て、ニューヨークで不思議な開放感を感じていた。ここでは「呼吸ができる」とPtは感じたのだ。

 

 しかし「喘息が治った!」という喜びもつかの間、日本に帰ると数日で発作と戦う日々が戻ってきた。これはもうニューヨークで生きるしかないだろうと思ったPtは、短大卒業後、手っ取り早く大金を稼ぐため広島市の繁華街にて、違法カジノで働き、ルビーせしめてフランスへ、じゃなかった、荒稼ぎしてニューヨークへ舞い戻るのであった。

(ちなみにルビーせしめてフランスへと言うのは、化学の元素記号のごろ合わせです。)

 
この広島の仁義なきカジノ時代については下の記事参照。

nkobi1121.hatenablog.com

 


ニューヨークでは、無一文になりホームレスになったり、アメリカ人女性に拾われたりしながら生きるが、いろいろあって日本に戻り映画の勉強しようと思い立ち、1年半後日本に戻る決心をする。

この頃については次の記事参照。

nkobi1121.hatenablog.com

 

nkobi1121.hatenablog.com

 

 

nkobi1121.hatenablog.com

 

nkobi1121.hatenablog.com

 

nkobi1121.hatenablog.com

 

nkobi1121.hatenablog.com

nkobi1121.hatenablog.com

 

帰国前についでだからあと2ヶ月南米を放浪。死ぬかと思う体験をしたりする。

南米については次の一連の記事参照。

nkobi1121.hatenablog.com

 
日本に帰り、東京の映画学校に入るも1日で止め、いろんな偶然やら成り行きやらで風俗店の店長代理を数年勤め、そこから思うところあり精神科医になろうと思い、大学受験をして大学に受かるまでの詳しい経緯は次の一連の記事参照。

nkobi1121.hatenablog.com

 
*ただしこの【ADHD猫p的クロニクル】は全17回と長いので、GWなどにすることがなくて暇してる方にお勧めします。

 


いかにして受験勉強したかについては、クロニクル終了後にいくつか書いているのでご参照ください。

nkobi1121.hatenablog.com

 
そんで精神科医になってから、なんでパリ大で精神分析? については下の記事にちょろっと書いてます。

nkobi1121.hatenablog.com

 

こうしてPtはいろいろなものを見て聞いて出会って別れて、といった経験をしているうちに気がつけば主体的に生きていた。それとともに知らず知らずのうちに子供の頃からの「生きづらさ」がほとんど解消されていた。

 

Ptは、多くの「生きづらさ」を抱えている人たちのために自分ができる事は何だろうかと考えるが、答えはまだ出ない。

しかしPtは、やっと自分にとって「勉強することの意味」を見いだすことができたため、それ以来勉強することが苦でなくなっていた。

 

これ以降のPtの歴史は、読者の皆様と共に作っていくことになる。

 

おしまい。

 


いやはや、皆様お疲れ様でした。ここまで付き合ってくれてありがとう。というわけで今後ともよろしくお願いします。

 


ではまた。

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自己紹介、箸休め。

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こんにちは、猫pです。

2日ほど前から、4月だし…と気まぐれに自己紹介なるものを書き出した私ですが、よりによってこのタイミングで、塚本廉とかいう意識高い系のカリスマの経歴詐称が発覚しました。詳しくはlunaさんの記事をご参照ください。

 

luna3018.hatenablog.jp

これを見て、「ちょ待てよ、このタイミング、すごい迷惑なんですけど」と思いました。

 

だって、ただでさえこれまでもリアルで会った何人かの人に「嘘だと思ってました。笑」と言われたり、「たとえ嘘でも面白いんでアリです。笑」みたいなコメントをもらってきた私。このタイミングで、経歴詐称の人がいると、お前もかって絶対思われるやん。

 

ちなみにこの方の詐称した経歴がこちら。

 

中学校時代は不良グループのリーダー。

高専卒業後、日立製作所に入社。

その後東大に進学。

東大卒業後、トルコのイスタンブール大学大学院へ進学。

これまで17社起業。

 

そして、私の加齢なる経歴がこちら。

 

小学校入学時に知的障害を疑われ、支援学級を勧められる。

短大国文科を卒業。

ニューヨークに住む。

南米を放浪する。

東京に住む。

国立大学の医学部に入り関西に住む。

精神科医になる。

パリ第7大学精神分析学科2年次に編入

 

これ、並べて書いてみるとめちゃくちゃ怪しいやん。

 

このカリスマ、東大卒を信じさせようと、東大の卒業式に潜り込んで写真を撮ったり、東大までの定期をこれ見よがしに写真に撮ったりと、涙ぐましい細工をしてたみたい。

 

私は別に商売でやってるわけじゃないから、みんなが信じても信じなくてもどうでもええわと思っていたんだけど、「この人のように思われるのはちょっとやだな」と思ったので、この人よりももうちょっとましな写真を公開します。今日家を断捨離したらなんかいろいろ出てきました。ちなみに私の幼少時の事は、証明不可能なので、うちのおかんに聞いてくれとしか…

 

それにしても、立派な経歴がなければどんな素晴らしい考えを持ってたとしても誰も聞いてくれなかったような何十年も前ならいざ知らず、今はネットで主婦だろうがニートだろうがだれでも自分の考えを発信して、それが面白ければどんな経歴の人でも注目されたり本が出たりする時代。こんな時代なのに経歴にすがってたのが残念な人だね。

 

さてと、うすうすばれてると思うから大学名もさらしておくわ。

神戸大学の在学証明書、学生証、パリ第7大学(Paris Diderot)の学生証、表と裏。

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私がブログ上で書いてることに嘘も誇張も1つもないよ。例外として、知人や患者さんについては個人の特定を避けるため細かい設定を変えてる。それだけ。

私はニセモノじゃねー‼︎

 

さて、この摩訶不思議な経歴を持つ猫p、どうしてこんな人生になってしまったのかについては、自己紹介後編を待つべし。

 

ではまた。

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今更ながら自己紹介(中編)

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こんにちは、猫pです。

今日は自己紹介の続きです。書いてみるまでは自分の人生前半部を、「ぼんやりとした主体性のない人間」というふうに認識していたのですが、こうやって改めて書いてみると、主体性もないけど、なんでしょうこの不良は!?

 


学校行かないわタバコは吸うわ酒は飲むわ禁止薬物はするわ…

脳に悪いことばっかりやっていると思ったら、頭も打ってるし。

 


こんな私でも頭使う仕事できてるから、頭って意外と丈夫。笑

 


【現病歴(続き)】

こうして高校入学後も、相変わらずPtは頭を使うことなく、学校の授業も聞かず宿題もせず過ごしていた。Ptの両親は日本でまれに見る教育不熱心な人種だったため、家の手伝いさえやればPtは勉強しないでいることが許されていた。

中学までは授業中の暇つぶしに漫画ばかり読んでいたPtも、しょっちゅう漫画を読んでいたため、お小遣いが足りなくなった。そこで高校に入ると、自身の絶対音感を利用して授業中にバンド譜を書いてバンドをしている人たちに売って小金を得ることで、その時間を効率的に内職の時間に充てるようになった。

 


Ptがこれほど徹底的に勉強しなかったのには、もちろん基本的にPtが怠け者だったということが大きいが、もう一つ訳があった。

 


Ptには妄想癖があった。中でもずいぶん昔から一貫してある妄想として、「洗脳されてしまう」という妄想があった。「一見普通の学校教育で、一定割合正しいことを教えることで信用させておいて実はこっそり何らかの思想を植え付けようとしている」と言う妄想が小学校の頃から芽生えていたため、「聞いてはいけない信じてはいけない…」と必死に防御していたようだ。

 


一方で、刺激のない田舎の学校で、Ptは退屈を持て余していた。退屈のあまり、外国からやってきた英語教師にひどいいたずらをしてしまったことを今ここで懺悔したい。あ、その前にそういえば中学の頃も英語教師にひどいことをしてしまった。これも合わせてここで懺悔しよう。

 


ちょっと遡るが中学の頃、Ptの班は校長室の掃除の担当だった。校長先生の机の上に、蓋付きの木の器があった。ふたを開けてみると、高級そうなお菓子が入っていた。Ptは、校長が糖尿病ににならないように、そのお菓子を全部取って蓋を閉め、班の女子と山分けした。

ところがそのお菓子は、赴任してきた外国人教師をもてなすためのお菓子だったらしい。どうぞとふたを開けたらお菓子がなかったため、校長はカンカンに怒ったという。

 


高校の時にPtが外国人教師にやった仕打ちはもっとひどかった。世間知らずそうな若い純朴な外国人男性教師に、「ここに来たなら、ここの方言で挨拶することを覚えないと、礼儀がなってないと思われます」「『こんにちは』は、ここの方言で『お○○こ』と言います。言ってみて下さい。そうそう、上手です。」と発音指導までした。さらに、「上司には、最上級の敬語を使います。『ハゲ』と挨拶すれば喜ばれるでしょう。」と怖いハゲの先生に挨拶させるなど、ひどいことをした。なぜかその先生はさっさと学校を去ってしまった。先生あの時はすみませんでした。

 


こんなふうに暇を持て余してろくなことをしないPtは、当然のことながら小学校から一貫して必ず教師に嫌われるのが常だったが、不思議なことに高校になって初めて、Ptに好意的に接してくる教師が現れた。現代文の教師と数学の教師である。

 


漫画以外で文字を読むのが大嫌いだったPtは、中学校に入っても漫画以外は、寺村輝夫の「ぼくは王様」という小学3年生が読むような児童書しか読まなかった。しかし例外的に中学の時太宰治は読んだ。それはPtがその頃「自殺」というものに興味を示し、どこからか「太宰治を読めば、自殺をしたくなるらしい」と聞きつけたからである。その程度の読書歴であったが、現国の成績だけは良かった。この文章読んでたらそうは思わないだろうが、本当なんだからしょうがない。

 


そんなPtに、現国の教師は安部公房の本を手渡し、「宿題とか一切しなくていいから、これを読んでくれ。そして感想を教えてくれ」と言った。

 

人間そっくり (新潮文庫)

人間そっくり (新潮文庫)

 


そしてもう1人、数学の教師がPtにやはり本を手渡した。その本には「トポロジー入門」とあった。この教師は、未だ分数の通分も知らない落ちこぼれに対し、「〇〇は絶対トポロジー好きだと思うから読んでくれ」と言う。一体どうしたというのだろう。職員室で「〇〇を何とかしようキャンペーン」でも繰り広げられたのだろうか。

 

トポロジー入門

トポロジー入門

 

 (トポロジー入門という本はいっぱいあるので、どれだったか覚えていません。)


勉強は1ミリもやりたくなかったが、人の好意は無下にできないPtであった。このトポロジーの本は、一切面倒な計算をせずに読める本だった。面白かった。そして、現国の教師が勧めてくれた安部公房の「人間そっくり」は、奇しくもトポロジーを小説に応用していた。これまた面白かった。調子に乗った?数学教師は次にパラドックスなどの論理学の本を持ってきた。この流れで、ついにPtは人生観を変える経験をするダグラス・ホフスタッターの「ゲーデルエッシャー・バッハ-あるいは不思議の環」という本に出会う。

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

 

 

この数学と芸術と音楽とが渾然一体となった深遠で摩訶不思議な文章を読み、面白いと思った。そして、きっと自分がもっと賢かったらこれはもっと面白かったにちがいない、と思い、勉強してこなかった日々を初めて後悔した。Ptは、生まれて初めて知的興奮を体験し、熱を出した。

 


これでPtがやっと勉強を始めるかと言えば、ところがどっこいPtの怠け心は知的好奇心よりも強かった。つまりこの時点では、Ptの知性は目覚めそうになったが、すぐに二度寝してしまったのだ。

 


高三になって担任に進路を聞かれ「船乗りになります」と答えたが、実際フェリーに1日乗ってみると、景色は変わらないわ酔うわで、船乗りはやめて、友人が「一緒に行こうよ」と誘った田舎の短大を受験。悲劇にもPtが受かり、誘った友人は落ちてしまい気まずい仲となる。

 


なかなか進まない…ので、さらに続きます。


ではまた。

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今更ながら、自己紹介(前編)

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こんにちは猫pです。


4月になって新年度と言うことで、今更ながら自己紹介でもしようかなと思います。誰得と言われたらちょっと悲しくなるのですが、でも最近私のめちゃくちゃ古い記事までさかのぼって読んでくれた人とか、かなり連続で読んでくれた人とか、そういう奇特なありがたい読者さんもいらっしゃるようだし、読んでいてお前は医者なのか患者なのか妄想なのか現実なのかと混乱している方々のために、エイプリルフールが終わったのにまた嘘ついてやがると思っている人のためにも、とりあえずいちど私の歴史のダイジェスト版でも書いとこうかなと思った次第であります。信じるも信じないもあなたの自由。珍しく酒飲んで書いているので、素面になるや否や取り下げるかもしれません。読者何人減るかな、あはは〜笑

 


以下、精神科カルテ方式でお送りします。

 

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【症例】X代女性

【主訴】先送りグセをなおしたい。やせたい。

【家族歴】

父方の祖父が統合失調症疑い。幻覚妄想状態になって祖母を斧で追いかけ入退院を繰り返したという逸話あり。

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伯父が自殺(詳細不明)。

母がASD(自閉症スペクトラム障害)疑い。

父がアルコール依存症一歩手前。

嗜癖

タバコ: 小学5、6年生の時、好奇心から父のショートピースに手を出す。最初うまくないじゃないか!と思うが、吸っているうちにきっと上手くなるはずと頑張って吸い続けているうちに喘息症状が出て、父が禁煙してしまったため、小6でタバコは卒業。


飲酒: 酒飲みの鹿児島出身の両親から生まれ、姉が下戸だったため、Pt(患者)のみ早期教育が施される。幼稚園でビールの泡、小学生でビール、中学以降は焼酎を夕食時に飲むのが普通だと思っていた。


薬物類: ニューヨークに住んでいた20〜22歳の時に、色々とたしなむ。(もちろんバファリンとかだよ)ただし、コカイン、ヘロイン、覚せい剤は未経験。


【生育歴】同胞2人中第二子として福岡県のど田舎に出生。父は中卒の自衛官、母は高卒であったが貧乏な一家を支える長女として働かなければならず、頭はそこそこ良かったため校長先生の推薦で小学校の教員をしていたと言う。しかし人に教える能力が致命的になかったせいか、すぐに適応障害になり退職、その後結婚し、転勤族だったこともあり、パート勤めとなる。

専門学校卒の姉は、「平凡」「普通」であることに強迫的なこだわりがあり、悪目立ちしてしまうPtを疎ましく思っていたような気がする。

 

乳児期のPtは、母親に抱っこされるのを嫌がるため、もっぱらベビーベッドに寝かされていた。母が子守唄を歌うと音痴を激しく抗議するように泣くため、クラシック音楽を聴かせていたという。


【既往歴】

後頭部打撲

気管支ぜん息、など


Ptは乳幼児の頃、後頭部を数針縫う大怪我をしている。これは縁側でPtを抱っこしていた姉を見た父が「かわいい」とカメラを向けたが、当時のカメラのフラッシュはとても眩しいものだったため、姉はとっさに手を離し、乳幼児は縁側から下のコンクリートに真っ逆さま。そんなこともあってか、両親はPtの奇行に対し厳しくする事はなかったとか。


【現病歴】

Ptは、幼少時から姉には認めない奇行を認めていた。扁桃体がもともと萎縮でもしているのか、恐怖心が薄く、高い鉄塔に登ったり、大人の自転車に両手放しで乗ったりしては周りの大人を震え上がらせた。

また、頭を使うことを極端に嫌うため、オセロもあやとりも折り紙も出来ず、小学校に上がってもトランプはババ抜きしかできないような知能であった。

このため、小学校入学時に特殊学級(今の特別支援学級)を勧められる。特殊学級の部屋を見学したPtは、「こっちの方が良い」と主張したが、母親が「単に嫌いなことに対しての集中力が極端にないだけで、知能が低いわけではない。楽な状況に入れるとどこまでも怠ける」と反対したため、不本意ながら普通学級に入れられる。


小学校に入学するやいなや奇行が際立つ。集中力が3分程度で切れるので、授業に全くついていけない。というかついていく気がない。机の中がぐちゃぐちゃで、毎回提出物を提出できず、宿題もできず、同級生や先生からいじめを受ける。

他にも相貌失認やら、共感覚やらに基づく奇行もあり。

nkobi1121.hatenablog.com

 

nkobi1121.hatenablog.com

 

学校から精神科受診を勧められるも、母親は病院嫌いであり、「独自の治療」と称して、Ptをクラシックコンサートに連れて行ったりしたのだが、じっと座っているのが苦手なPtにとってそれは苦行だったとか。


Ptは、50分授業の苦痛に耐えるため、こっそり机に隠した漫画を読んだり、国語の教科書の作者の顔に鼻毛を書いたり鞭毛を書いたりすることで何とか学校に通っていた。小学校の通知表は5段階評価で2が多く時々3が混じった。


中学に入ると、いじめはなくなったが、何のために学校に行くのかわからず、学校に行ったふりをしてベランダからこっそり自分の部屋に戻り学校をサボることが多くなった。Ptは中学に入っても相変わらず怠け者で頭を使うことを嫌った。国語だけは漫画を読みすぎたせいか成績が良かったが、数学に至っては、小学校で計算ドリルの類を全くしなかったため、分数の足し算引き算のやり方(通分)すら知らなかった。

まわりからはおそらく軽い知的障害と見られていたであろうPtは、同級生の女子からよく世話を焼かれた。それを良いことに、ますます受け身で自分でものを考えず楽を選ぶようになっていった。


そんな世話好きの女子に「一緒の高校に行こうよ」と誘われたPtは、主体性がなかったため、言われるまま受験し、偏差値48の公立高校に入学。

この学校はその年から習熟度別授業を導入。1組から8組まで普通科、9組が家政科であり、そのうちの7組と8組が成績の良い子のクラスで、6組が問題児や成績の悪い子のクラスであり、担任はヤクザのような口調の世界史の教師であった。Ptはもちろん6組であった。Ptは、入試の社会科の記述で「非核三原則」という答えだけ書けたが、ほかは記号問題を当てずっぽうに丸で囲んだだけなので、「お前の社会の成績が1番悪かった」と入学早々担任にどつかれることになった。

 


…とりあえずこの辺で切っておこうか。

 


続きます。

 


ではまた。

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また女を泣かせてしまった…しかも会って30分以内に。

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(「動物のお医者さん」のヒヨちゃん)

 

こんにちは、猫pです。

なるべく偏った仕事人間にならないように、仕事以外のこともいろいろしてるんですが、その中の1つに語学の勉強があります。

語学の勉強といっても、もうあんまりこれ以上劇的に上達する気はしないので、むしろ今のレベルを落としたくないなぁと、維持する意味でやってるのが、英語とフランス語それぞれ1日30分のオンライン会話学習です。

 

両方ともオンライン学習サイトの中では多分1番料金が安い部類に入るのじゃないかと思います。私の場合カリキュラムを無視して教材も使わず、ただひたすら自由に雑談をするだけなので、特にクオリティを求めてないのです。英語はフィリピン人に、フランス語はチュニジア人に学んでいます。学んでるというか単にしゃべっているだけなのですが、特に不満はありません。


以前、チュニジア人とSkypeしたときのことを書きました。今日はフィリピン人とSkypeしたので、そのことを書きます。

 

結論から言うと、フィリピン人を泣かしてしまいました。

 


ことの起こりは、Skype中に彼女の家から聞こえる鶏の鳴き声。

「鶏飼ってるの? 食用?」と聞くと、闘鶏用に、隣に住むお父さんが飼っているとのこと。

 

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闘鶏は、フィリピンではポピュラーなギャンブルらしい。競馬みたいな扱いなんだろう。

 

彼女は、闘鶏は野蛮だしギャンブルは大嫌いだから自分は絶対見に行かないと言う。

 

 

彼女の両親は、昔2人揃って闘鶏にハマって散財してしまったため、生活が貧しくなり、彼女は小学校の時に身体が小さくガリガリで、みすぼらしい服を着ていて、同級生にいじめられたという。

 

彼女は、自分の貧乏な生活環境は変えられなくても、勉強は努力次第で上にいけると考え、努力して1番を取り、それをキープすることで自信を得て、いじめっ子に言い返し、以降いじめられなくなった。

 

彼女は10歳の時に、「自分は大人になっても一切のギャンブルをしない」と決めて、今もそれを守っている。

 

「昔は貧乏だったこともいじめも辛かった。でもその時のことがあるから、今の自分があるんだ。私は辛いことからもたくさん学んだ。」

 

そう言いながら、昔を思い出してしまったのか、彼女はポロポロ涙をこぼした。

 

「仕事中なのに、こんなに泣いてしまってごめんなさい…」と謝る彼女。しかし私とのSkype中に泣いてしまったのは彼女で3人目。いや、もっといたかな? 少なくともこれまでにチュニジア人2人が泣いている。

 

精神科医の悪い癖で根掘り葉掘り聞いていると思われるかもしれないが、別にこちらからはそんなに根掘り葉掘り聞いてはいない。知らんうちに皆さん自分の過去とかプライベートな事とかどんどんしゃべって泣いてしまうのだ。でもその後、スッキリした顔してお礼を言われるので、ちょっとしたカタルシス療法にでもなっているのかもしれない。

 

うーん、知らず知らずのうちに仕事口調になっているのだろうか? 

 

それにしても、どこの国の人でも悩みは普遍的なものだなぁ…

 

と、こんな感じで語学は勉強?しています。

 

ではまた。

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桜…その後

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こんにちは、猫pです。

2つ前の「たかが桜、されど桜」という記事で、自殺に失敗し低酸素血症から脳に障害が残り、発語がなく不随意運動する患者さんと花見に行く約束をした事をちょっと書きました。

今日はその続き。

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この写真を見て一言、「咲いてる…」と呟いたのが、私が聞いた初めての彼女の言葉。

 

ところが残念なことに、翌日の天候はどんよりとして寒く、桜もまだ5分咲きといった状態。

 

ベッドサイドに行き、その旨を説明。次週必ず連れて行くことを伝える。すると彼女、ぽつりぽつりと話し始めた。

「本当?」「来週ね」「嬉しい」

表情も豊か。いったい彼女に何が起こったのか。

 

 

私は今病院を掛け持ちしている。そのため、再び彼女に会ったのはそれから3日後のことだった。

 

朝、ナースステーションに行くと興奮した看護師が私に話しかける。「先生、聞きました?  Mさん、しゃべるんですよ!」

 

そう。私の知る限り、あの桜の写真を見せた日以降、彼女はほんの少しだが話すようになった。

 

一体何が彼女を目覚めさせたのか。

私は治療としては特に大した事はしていない。私のやってる事と言えば、今の彼女の病状に不要と判断した薬を少しずつ減らしていってるのと、話が聞こえているかどうかもわからない、反応を返さない彼女に、毎回たあいないことを話しかけていた、それくらいだ。

桜の力か?

こうなったら精神科の治療は何でも使うべきだな。花だろうが猫だろうが。

 

 

その日は晴天で、遅咲きの病院の庭の桜もやっと満開になった。

看護師にリクライニング車いすへの移譲を依頼すると、

 

「あれ? 昨日行きましたよ。先生忙しいだろうから、看護師でやりました」とのこと。

 

え?もう行った?

や、そりゃあ暇じゃないけどさ、やっていただいてありがたいけどさ、私が患者さんを連れて行くと約束したんだし、それは一言断って欲しかったなと、ちょっとモヤモヤしながらMさんの元へ行く。

 

「昨日花見行ったんだって? 桜、きれいでした?」と尋ねる。

 

ベッドに臥床しているMさんは、ゆらゆら体を揺らしながら私の顔を見て言った。

「行ってない。」

「あれ?  昨日看護師さんがお花見連れてってくれたって聞いたけど」

「行ってない。」

 

実際は、ナース記録に花見に連れて行ったとの記載があった。ただその時どんな様子だったかの記載はなかった。

 

「そうか。じゃぁ今日行きましょう。」と私は言った。彼女はうれしそうにうなずいた。

 

実際に昨日行ったかどうかは重要じゃない。彼女が行きたいということが重要なのだ。

 

看護師にリクライニング車いすへの移譲を頼み、上着を着せて、外に出る。この時にはまた、話しかけても反応がない、以前の状態に戻っていた。

 

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病院の庭の遅咲きの桜を指差し、「きれいだね」と話しかける。Mさんは言葉を発せず、表情は以前同様固まっているため、楽しんでいるかどうかはわからない。

庭を一通り回って、チューリップや菜の花を見る。菜の花には蝶が舞い、頭上で鳥のさえずりが聞こえる。

 

無言のMさんに語りかける。

「来年もまた、桜を見ましょうね。」

 

表情の固まったままのMさんの目からポロリと涙がこぼれた。

 

ずっと目に見える反応がない年月が続いたが、感受性は損われていなかった。

 

ではまた。

 

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