猫にそんなこと聞かないで。

発達障害とか精神科医とか猫とか外国とかの話

豊田市の三つ子次男虐待死事件について思うこと

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こんにちは、猫pです。

生後11ヵ月の三つ子の次男を床に叩きつけて死なせた愛知県豊田市の母親が傷害致死罪で懲役3年6ヶ月の実刑判決を言い渡された事件。

これに対し、SNSにて育児経験者を中心に「母親が子育てしながら罪を償いるように」と、執行猶予を求めるキャンペーンが盛り上がってるようです。

 

そのことに対してももはなさんがかなりご立腹です。まぁ、ももはなさんはどちらかというといつもご立腹ですが。

 

however-down.hatenablog.com

これについて、私自身の考えを書こうと思います。これはかなり賛否両論だと思うので、半分以上読者減るかなと思います。

いい子ぶってんの飽きてきたので、これで読者10人ぐらいまで減らしてもまぁいいか。

 

 

 

この事件については、育児に苦労した母親たちが、「他人事とは思えない」と彼女に同情を寄せて、共感の輪が広がっているようだ。そして、実刑を言渡した裁判官に対して、「子育てをしたことがない人間にはわからない」と批判の声が上がっている。

 

でも、私はこの「母親が残りの子供たちを育てながら罪を償えるように執行猶予を」と言う意見には反対だ。

 

確かに、彼女には同情すべき点がある。

まず、彼女の虐待は最近話題になった常習的な残虐性のある非道とは違い、精神的肉体的に追い詰められた末のものであったこと。

また、彼女は不幸にも、先進国にありながら福祉のあまりにもお粗末な国日本で三つ子を出産してしまったということ。

 

それでも私は彼女に腹を立てている。嫌いな男にレイプされて生まれた子供じゃなく、望んで望んで授かった子。ただそれが三つ子だった。

 

三つ子までは望んでなかったのだろう。それでも排卵誘発剤を使えば多胎児となる可能性は知っていたはず。

 

多胎児を育てるリスクと天秤にかけても産んだのは、子供自身がそれを望んだからじゃなく、彼女がそれを望んだから。つまりこれは親のエゴ。

 

子供は生まれることを「選べない」。子供が欲しい人たちによって否応もなく誕生させられてしまうのだ。

 

誕生した子供は、無力だ。ただ泣くことしかできない。泣くことも排泄も何一つコントロールできないのは子供のせいじゃない。

 

自分たちのエゴで無力の子供を誕生させた以上、どんなことがあろうとも子供を守るという覚悟が必要だった

 

「そんなことはわかってた。でも現実は想像以上に過酷だった」と言うだろうか。

 

これについて残念ながら私は同情できない。

 

1人の子供を育てている母親だってワンオペで悲鳴をあげている事は前々から知られていた。3人の子供であれば、自分1人ではどうにもならないと早々に対策してなければいけなかった。

 

福祉はもちろんだけど、この国の福祉はあまりちゃんと機能してないので、旦那親兄弟友人、あるいはベビーシッターを雇うための十分なお金、考える限りのあらゆる支援を事前に検討しておかないと、実際に育児に突入するとそれらを検討する余裕もなくなる。だから事前のリスクマネジメントが必要なのだ。

 

「医者は命を預かる仕事」とよく言われるけど、車を運転するものも、子育てをするものも、みんな命を預かってるのだ。危機管理能力もないのに誰かの命を預かってはいけない。

 

 

母親たちが彼女を擁護するのは、自分たちもまた、泣き続ける子供につい手を上げそうになったあるいは手を上げてしまった過去があるからだろう。つまり感情移入しやすいのだ。

そして自分が彼女の立場だったら、もちろん子供のことを愛しているから子供と一緒に暮らしたい。だから彼女が子供と暮らすことを許してあげてほしい。あんなことがあったけど、うつ症状がしたことであって、彼女は子供たちを愛してるのだし、子供たちだって母親と暮らす方が良いに違いないし…

 

 

情に流されないで、どうか冷静に考えて欲しい。

 

私は子供を持っていない。だから子育てのしんどさはわからない。でも私は医者だから、研修医の時の過酷なブラック生活のしんどさを知っている。

 

医者や研修医が過失傷害事故を起こすと、彼らに同情する気持ちは出てくる。

 

研修医だった頃の慢性的睡眠不足、1日に100回くらい鳴るPHS、カルテを見ながらパンやカップラーメンを急いでかっこむ昼食… 。最初はバッチリ化粧していた女性研修医たちも、そのうち身なりも構わなくなる。認知症疑いの患者さんに、「今日は何月何日ですか?」と尋ねながら、自分自身、日付けがわからなくなっている…

研修開始後2、3ヶ月もすると、遁走する者、鬱になる者が出てくる。

 

こんな過酷な状況を知っているから、医者が事故を起こしても、どうしても同情の気持ちが少しは出てくる。

 

睡眠不足の続いた極限状態の末に、ふと「魔が差す」感覚…

 

だから、母親たちが同情する気持ちもなんとなくわかる。当事者や経験者にしかわからない世界はあるのだ。

 

でも、だから許してあげてと言うのは違うと思う。

 

私は、自分がもし過失致死を起こしたら医者を辞めるつもりでいる。他の医師に対しても、たとえいかなる同情に値するような事情があったとしても、この医師が過失致死を起こしたら、医師として働き続けることを全力で反対する。

 

豊田市の母親については、もちろん彼女のリスクマネジメントの低さに腹が立つが、同時に彼女の夫、彼らの両親、こんなお粗末な福祉を持つ国にも腹を立てていて、そしてこんな国にした責任の一端が自分にもあるので、彼女に対して殊更に厳罰を望むわけではない。

彼女はまず、うつ病をきちんと治療して、クリアになった頭で自分のしたことをゆっくり考える必要がある。

 

そして、この夫婦は2人の子供を施設に預けて、子供なしで生きていくべきだ。それは、子育てに不適格だから。

 

「母親は子供を愛しているし、子供だって母親が必要なはずだ」なんていまだに思っているのなら、相当におめでたいと言わざるを得ない。とうの昔に血縁神話は崩壊してるのだ。

 

母親は子どもたちを「愛してる」と言う。それは嘘ではないだろう。でも、1度でも子供を虐待で死なせたのなら、それは再度虐待をする可能性の重要なリスクファクターだ。そして、たとえ母親が365日のうち、364日子供たちを愛したとしても、たった1日でも床に叩きつけたら子供は死ぬのだ。

 

彼女に感情移入して署名をした人たちに聞きたい。

例えば、さっきの過失致死を起こした医者に対して、「止むを得ない事情があったんだから、仕事復帰させるべきだ」と思いますか?

これは思わない人が多いんじゃないかと思う。事故を起こすような医師が仕事復帰すると、その被害が自分に及ぶかもしれないから。

 

一方で、豊田市の母親に再度子育てをさせてあげるべきだと言う人たちは、たとえこの母親がまた虐待してしまったとしても、自分に被害が及ぶことがないから気楽に署名できるのではないか。

 

そうじゃないと言うのなら考えてみて欲しい。彼女が社会復帰して、ベビーシッターになったとしたら、あなたの子供を彼女に預けられますか?

 

私はこの問いにイエスと言える人だけが署名をすべきだと思う。

 

私の考えはシンプルだ。医者であれ、車を運転するものであれ、子育てをするものであれ、「命を預かる」ものは、たとえどんな事情があったとしても、その命を一度でも奪うことがあれば、二度と「命を預かる」べきではない。

 

 

 

この問題に対して、彼女に同情したのなら、署名をするだけで終わりにせず、福祉が期待できないこの国で、いかにして第二のこの悲劇を生み出さないようにするか、考えて欲しい。

 

例えば、私は近い地域の親たちでサークルを作るといいと思う。例えば、いつでも誰かしら子連れのお母さん(お父さん)が集まってお茶をしているような場所を用意して、ある程度の人数が集まれば、1人ずつ順番にそのメンバーに子供を預けて家で仮眠したりする。残ったメンバー達は、仮眠をしている人の子供も含めて世話をしながら情報交換をする。これならベビーシッターを雇うお金がない人でも少しは休息が取れるはず。

 

このやり方は、マウンティングする母親がいたりすると面倒なんだけどね。

 

ではまた。

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リストカットがやめられない人におススメの刃物を紹介します。

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こんにちは、猫pです。

 

リストカットが止められない人たちがいます。

 

リストカットをしようと思ったことがない人から見ると、単なる「かまってちゃん」に見えてしまうかもしれません。

 

でも実際は、そんな単純なものではありません。切る理由は人によりけりです。

かまって欲しいわけではないため、見えないところを切る人もいます。

 

痛みを感じることで、流れる血を見ることで、自分の存在を確認しようとしたり、安心感を感じたりする人もいます。

 

体の中に鬱屈しているドロドロした何かを体から洗い流したくて切っていると言う人もいます。

 

このリストカット、人によってはやると落ち着くため、なかなか止められないという、麻薬のような依存性があります。

 

 

でも、どんなに気持ちが落ち着くといっても、リストカットはいけません。これによって得られる精神安定効果はごく一時的なものです。行為がエスカレートし、死に至るリスクがあります。

 

とはいえ、いけない事と言われれば言われるほど、こっそりやり続けてしまうんですよね…

 

よろしい。では存分におやりなさい。我慢は体によろしくない。ただし、刃物は良いものを選んだ方が良い。

 

今回私は、リストカットをやめたくてもやめられない人のために、素晴らしい刃物をご紹介します。

 

実を言うと、ここだけの話ですが、私もやっているんです。今朝も仕事前に、サクッと切ってきました。嘘だと言うなら写真をお見せしましょう。次、閲覧注意なので、苦手な人は見ないでね(?)

 

【閲覧注意】

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リストではないですね…

 

勘のいい皆さんは、もうお気づきでしょう。

 

そう、私がやっているのはリストカットではなく、リストキャットなのです。

刃物はコレ。

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コレ(ひなた・4ヶ月メス)は、かわいいと思って油断すると大変なことになります。隙あらば、私の肩まで登ろうといつも待ち構えています。うっかり背を向けると、ジャンプして飛びつくのですが、そのままズルっとずり落ちたときに、リストキャット?の出来上がりです。

 

おかげで家ではいつもゴルゴ13のデューク東郷のような緊張感があります。

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でもね、痛いんだけどね、なんか幸せなんだよね、わかるかなぁ。私の痛みは、子猫が元気な証拠。そう思うと、痛みすら嬉しくなるんだよ。リストキャットは幸せの痛みなんだよ。

 

と言うわけで、リストカットが止められない人は、カミソリを捨てて子猫を飼いましょう。リストキャットの痛みのほうがずっといいから。

 

 

私が診療所もどきを始めたら、リストカットを止められない人のために、専門の部屋を設けよう。子猫から存分にリストキャット(ニャ傷行為)を受けるがいい。

 

さて、腕の傷も心の傷も痛む人たちのために、うちの優秀なセラピストたちによる、見る薬を処方します。

 

www.youtube.com

 

真夜中に猫たちがこんなことをしていた。

まだまだママが恋しいこかげ君の為に、他にゃんにもかかわらずお母さん役をしている優しい卯月5歳オス。間に割って入りながらも、時々カメラ目線のひなた。

 

ではまた。

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幻のパンと人付き合いについて。

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(3758文字)

こんにちは、猫pです。

私はパンを買うときに、二個買うことが多いんですが、昔から同じ買い方をしています。それは、一個は必ずお気に入りの定番(私にとってはレーズンとかりんごとか入ってるもの)を買い、もう一個は知らないパンにするというものです。

 

これは、常に冒険をすることで、これまで自分の中でベストだと思っていたパンを超える幻のパン、奇跡のパンに出会うかもしれないというロマンを追い求めつつも、もう一個は必ず自分の好きなパンを買うことで、保険を確保するということです。私はたぶん現実主義的な冒険家なのでしょう。

 

のっけから何の話だと言われそうですが、今日は皆さんご存知の、ちきりんさんとよしきさんの記事を読んで、私の思う友達付き合いの仕方、はてな村での付き合いの仕方について、つらつらと書こうと思います。といっても、私はこう考えてこう行動している、と言いたいだけで、別に自分の意見が正しいと思っているわけではないのであしからず。

 

まず、ちきりんさんのこの記事ですが、簡単に言うと、ちきりんさんは、友達付き合いにおける考え方や行動の違いを、その友達が「相手の気持ちが読めない」ゆえのものと捉え、友人にアドバイスなさるようです。

 

chikirin.hatenablog.com

(以下、青色箇所は引用部分)

彼女といると、よくこういう感じになります。

 

友人「ちきりん、今度◯◯っていう映画に行こうよ!」
ちきりん「いいよ」

 

で、映画を観た後にお茶をしながら、

 

ちきりん「ねえ、今○○の展覧会やってるから今度いかない?」
友人「うーん、あんまり興味ないからいいわ」


同じコトは何度も繰り返されます。

 

お互いが関心を持つことに誘い、相手がそれに付き合う。

それにより双方の世界や視野が広まり、かつ、時間と空間を共にし続けることで経験や感動を共有でき、お互いへの理解が深まる。

 

結果として「昔つきあってた人が好きだった歌手やスポーツの大ファンに(自分も)なっていく」ことってあるでしょ?

 

友人であれ恋人であれ、夫婦であれ共に働く組織や団体の仲間であれ、私にとってはそれこそが他者と関係性を築くことの意義であり喜びです。

 

ちきりんさんの考えは、それはそれでその人の価値観なので正しいとか間違っているとかという問題ではないのです。

でも、文面からは、彼女がこれを正しい事と思って、「間違っている」友人を「正してあげている」ように読めてしまって、どちらかと言うと友人の方に似たタイプの私は、この友人ほど優しくないので、そんなアドバイスをされたらしんどいから付き合いをやめようかなと思ってしまいます。

 

これ、何が特に私にとってモヤモヤするかと言うと、自分の示した好意と同じだけの見返りが得られるべきだ、と言っているように聞こえる点です。

 

「私もそんなに興味のない映画に付き合ったりしてあげてるんだから、あなたも友達なら、たとえそんなに興味がなかったとしても、私があなたに付き合っているのと同じ位付き合うべきなんじゃないの?

 

友達付き合いって、義務だっけ?

 

私は逆に、友達を映画に誘ったとして、友人にとっては魅力的な誘いじゃないにもかかわらず、友達付き合いの一環だからガマンガマン、と「いいよ」と言われてたら嫌だけどな。

 

私自身が友達に誘われた場合、上記のようなことを言っておいてなんですが、意外と誘いに乗ること多いです。

 

これは、私にとって他人からの誘いは、「幻のパンを探す」行為と同じだからです。

 

普段は、自分の自由に使える時間は限られ、疲れていたりするので、あまり冒険はせず、確実に楽しめたりおいしいとわかっているものを選びがちです。

 

なので、他人が誘ってくれたときを冒険の機会と捉え、「普段は選ばない物を選ぶ」という行為そのものを楽しみます。

 

例えば、「ジョジョの奇妙な冒険」や「うしおととら」のような漫画は、正直絵が好みでないので、自分だけの判断ではまず手に取らない類のものです。ところが、これが面白いと思うようになると不思議なことに、この絵柄じゃないとだめだろ、と絵すら好きになることがあるので、他人の勧めはありがたいなぁと思ったりもします。

 

ただ、絶対これは好きじゃないと思える事は即座に断ります。私の場合はカラオケとか、パックツアーとかですかね

 

つまり、私にとって友達付き合いと言うのは、「誘ってくれたから付き合わなくちゃ」という義務的なものでなく、誘うも自由、誘われるのも自由、誘いに乗るも自由、断るも自由、そういうものです。義務的な事は、お給料をもらう「仕事」だけで充分!

 

ちきりんさんは、友達に「こうあるべき」と諭してますが、例えばフランスに行ったら適応できるのは友達の方でしょう。

 

 

パリ留学中のある日本人女性が、フランス人の友人達と昼食に何を食べるかと言う話になりました。

 

彼女が「カフェで食べたい」と言い、2人のフランス人学生が「私は学食のサンドイッチ」と意見が分かれたため、フランス人学生が、「じゃ、また3時間目に!」と言いました。

 

慌てた彼女が、「じゃあ私も学食にする」と言うと、フランス人学生は不思議そうに「〇〇はカフェで食べたいんでしょ?」と言ったとか。

 

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さて、はてな村での付き合い方について、思うところを書きます。いつまでも新参者気分でいた私も、気付けばもう8ヶ月もはてなブログをしています。

 

「互助会」と言うシステムに対して、よしきさんがずいぶん前の記事ですが手厳しい記事を書いておられたので、それについて考えてみました。

(言及を不快に思われたら、ご一報くだされば削除します。)

 
tyoshiki.hatenadiary.com

 

確かに、多くの読者数やPV、ブクマ数を獲得したいなら、数多くのブログを訪問して片っ端からスターやブクマをつけまくれば確実にある程度の効果はあるでしょう。

問題は、記事の内容を1つも読んでないのにスターやブクマをつけるということです。私はよしきさんの記事を読むまでは、まぁそういう人もいるんだろうなとは思っていましたが、これをテクニックとして紹介する人がいることに驚きました。

 

はてなを始めた頃、どうして私がすごく面白いと思っている人の記事にスター等が少なく、逆に「どうしてこの程度の記事が毎回数百ブクマも得てるんだろう」という疑問があったけど、多分そういうことなんだろうなと思いました。

 

でも私は個人的には、「互助会」ってそんなに悪いかなと思います。読んでない記事にスターつけるとかはもちろん論外ですが。

 

ちきりんさんやよしきさんのように、文章そのものに読ませる力がある人たちは、互助会の必要はないでしょう。

 

でも、最初から人気が出るような凄腕ブロガーはほんの一握りであり、たいていの初心者は、まず「自分がここにいる」ということを周りに認識してもらう必要があります。

 

じわじわと人気が出て、今では有名ブロガーと言われる人であっても、最初は誰かに認識してもらって、訪問者の少ない孤独な時期を互いのコメントで支え合うことで乗り越えた人だっているんじゃないかと思います。

 

ある程度こうした付き合いがなければ、寂しさから、多くの人が脱落してしまうでしょう。

 

よしきさんが嫌悪するのは、互助会が、アクセス稼ぎのため、好意の返報性を利用しているということだと思いますが、私はあまり潔癖な人間でないので、自分のブログを読んでもらうために頑張ってコメントを書く人がいたとしても、それはそれでいいんじゃないかと思ってます。

 

もしこれが、「自分は〇〇さんにいつもたくさんスターをつけたりブクマをしたりしてるのに、〇〇さんは返してくれない」と言い出したらそれは問題だけど。

 

でも例えば、洋服屋で試着した洋服があまりピンとこなかったけど、店員さんの対応がすごく優しくてよかったから、つい買ってしまった。この例のように、洋服はイマイチでも、店員さんの戦略勝ちと言う事はあると思います。ビジネスとはそういうものだと思います。

 

私自身は、アドセンスアフェリエイトもしていないので、割と自由に気楽に書いたり読んだりしてます。最初は、読者登録をしてもらえるのが嬉しくて、すぐに読者登録返しをしていたのですが、自分が読める容量を超えてしまったので、最近はめったなことでは読者登録をしてません。

 

基本的には、私も互助的な感じで読者登録しているブログの記事を日々読んでます。それは自分のクソ長い文章を読んでくださっている感謝の意もありますが、それだけでなく、人のブログを読むことは、私にとって「幻のパンを探す」事でもあるのです。自分の知らない世界や違う価値観に触れる事は、単純に楽しい。

 

それでも、はっきりとあまり興味がない記事は飛ばします。好みの記事を書くブロガーさんでも、株やアドセンス関連、プログラミングなどの話題だと飛ばすことがありますが、私が飛ばしたからといって魅力のない記事と言うわけでなく、単に趣味の相違の問題です。

 

そんで、私のほうも猫のことを書いたり精神科のことを書いたりと、読者さんにとってある記事は興味があるけど、ある記事は興味がないということがあると思います。私は「ブロ友付き合いは、たとえ興味がなくても自分も読んであげてるんだから、相手も読むべき」とは思わないので、興味のない内容の時はスルーしてくれていいのです。

 

そうやって、お互い「〇〇すべき」と思わない方が、リアルでもネットでも友情が長続きする気がするし、「友情じゃなくて、こっちは商売でやっとるんじゃ!」という人達が結果的に私のブログから離れてしまっても、私の記事を読みたいという、幻の人間、奇跡の人間だけ残ってくれたらいいかな。

 

ではまた。

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嗚呼、阿鼻叫喚の医師国家試験

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こんにちは、猫pです。

明日は、医師国家試験(国試)の合格発表日です。

 

皆さんは、どこかで国試の合格率が90%前後と言う事を知って、「楽な試験でいいよなぁ」なんて思ったんじゃないでしょうか。

 

声を大にしていいます!

(声を大にしてもわからないので、文字を黒くしていいます!)

国試が楽なもんかぁぁぁ!!!

 

 

今でも時々、国試に落ちた夢を見る。

夢の中で、私は今の年齢、つまり40代。なのに何度も国試に落ち続けている。大学の友人たちが、昇進したり結婚したりする中、ひたすら受験勉強をする私。

友人達の声がする。

「猫p、今年もまたダメだったんだって? 何年やるつもりだろうね。痛々しくて見ていられない…」

「シッ、聞こえるよ」

 

目が覚める。私、浪人生じゃないよね?ちゃんと働いてるよね? と一瞬焦る。

 

そんな夢をこの時期になると見てしまう。それほど、この試験はギリギリで受かった人や落ちた人に強い恐怖を植え付ける試験なのである。

 

 

遡ること十ウン年前…

私が大学に受かった時、入試の成績は100人ほどの学生の中で、トップクラスだった。(自慢)

( ̄∇ ̄)b

 

ところが、4年生の時に行われるCBTという国試のミニチュア版のような試験を受けた時、私の成績は、ど真ん中(偏差値50)に下がっていた。

( ̄▽ ̄;)b

 

そして、6年生の11月ぐらいだったかな?に行われる卒試では、なんと、確か106人中100位くらいだった。本当にギリギリで受かったのだった。

ヽ(;▽;)ノ

 

「あれよあれよ」という言葉は、こういう時に使うんだよなぁ…としみじみと思う。

 

この素晴らしき転落劇はいかにして起こったか考えてみる。要は言い訳をさせてくれということだ。

 

まず、私は多くの同級生より一回り上も歳をとっていた。そして、医学部の勉強は、数学などの思考系科目でなく膨大な量の暗記が必要な科目ばかりなので、年齢の差がそのまま記憶力の差となる。そのうえ、私は暗記科目が大の苦手ときている。

 

それから、貧乏なので常にバイトをしていたということも原因である。授業料は奨学金で賄っても、生活費と法外な値段の教科書代、心臓病を患った飼い猫の酸素ボンベ等の治療費などなど、はたらけどはたらけど猶我が暮らし楽にならざりぢっと手を見る(啄木)…

 

結局、模試を受けたのは6年生の12月に1回きり。バイトは、国試1ヵ月前まで続けた。

他の同級生たちが、すべての科目の問題集を3周している頃、自分は1周が終わりきらず、出題率の少ない科目を捨てようと画策するくらい切羽詰まっていた。

 

大学の図書館は24時間空いていた。国試が近くなると、多くの同級生が図書館で勉強していた。

 

私はこれまで、暗記科目に関しては、独特な勉強の仕方をしていた。私の脳みそは、机に向かって暗記科目を始めると、ブレーカーが落ちるように集中力がストンと落ちて以後使い物にならなくなる。

そのため、要点を紙にまとめたものを見ながら、大学病院の隣にある公園をひたすら何周も歩くという勉強の仕方をしていた。

 

ところが、国試の勉強の場合はそういうわけにはいかなかった。1科目につきハローページのような分厚い問題集を解きまくらなければいけないので、なかなか公園を歩きながらそれは難しい。

 

そこで私は、友人からワンピースという漫画を何十冊も借りた。そして、図書室の個室を借りてそこにこもり、脳のブレーカーが落ちるたびにワンピースを少しだけ読み、集中力が回復するや否や読みかけのページに付箋を貼り、勉強に戻るということを繰り返した。大体15分ほどでブレーカーが落ちたので、以降は15分にいちど休憩を取り、脳の機嫌をとった。

 

ワンピースは私にとってはほどよく面白い漫画だったのでよかった。もしこれがあまり面白くなかったら、脳のブレーカーが上がってくれないし、逆にあまりに面白すぎても、今度は止まらなくなってしまう。

 

 

こうして年が明けた1月ごろにはみんな病んできていた。トップクラスの成績をキープするある女子は、パソコンの講義を見すぎたせいか、壁に貼ってあるポスターが3次元に浮き上がって見えると言う変な症状を訴えていた。

 

その頃の私の成績と言えば、過去問がギリギリ合格ラインといった、偏差値で言えば35くらいであった。恐ろしや…

 

そうそうちなみに、合格率90%前後と言うのは、私大で受かりそうにない人たちをごっそり留年させたりして、最初から合格できる人たちだけを受けさせていたり、ある私大では、成績下位30名をひたすら勉強漬けにする勉強合宿に参加させたり、ポリクリ(病棟実習)もほとんど省いて予備校の先生を呼んで5年生の頃からみっちりやってたり、卒試が数ヶ月にわたってあるような学校も…。こうして90%の合格率となるのである。

 

そして、私のような落ちこぼれはともかく、偏差値60以上の天上人たちも実は国試におびえていた。

彼らを怯えさせるもの、それは、80%正答出来ないと不合格になる、「必修問題」という問題である。必修問題と言うのは実は基本的なことを問う問題なので、深く考えなければ決して難しくない。

 

ところが、勉強しすぎる人たちは、この「深く考えない」で良いはずなのに、深読みをしてしまってどつぼにはまる。知識が下手にありすぎると迷うんだよね…

うちの大学でも過去、これで落ちた学年主席がいたときく。

私は知識がなかったため、この科目は楽勝だった。

 

そしてもう一つ、人々を恐怖のどん底に陥れるのが、「禁忌問題」である。

 

これは400問の問題中数問ほど地雷のように埋まっていて、それをいくつか踏んでしまうと、どんなに点数が良くてもその時点で不合格となってしまう恐ろしい問題である。大抵そんな問題の禁忌肢は、「そんなことやっちゃだめだろ〜!」と思わず言ってしまうような選択肢ではあるのだけど、試験中の緊張した精神状態では、普段は絶対に選ばないようなものを選んでしまうものである。

 

ゆえに、国試というものは私のような落ちこぼれだけでなく、成績の良い人も皆戦々恐々として受ける試験であった。

 

 

さて、無事に?試験を受け終わると、ほとんどの人はすぐにパソコンに自分の成績を登録して、自分が受かったかどうか大体の目安を得る。

 

私も登録してパソコンの画面に映った数値を見る。すると、私の順位は、5000位くらい、私の下にはたったの500人…。

 

国試は、下の1割に入らなければ合格。受験人数は8000人。後の2500人はどうしたんだ!?この中ぶらりんの状態が1番嫌だ。

後の2500人が、「どうせ落ちてるからもう結果なんか見たくもないやい!」と結果を見ることを放棄したのなら良いが、もちろん「良すぎたから成績なんか見る必要ないね」と言う人たちもいるだろう。

 

こうして、余裕の成績の人たちが海外へと卒業旅行を楽しんでいる間、ギリギリ組の私のような人間たちは、哀れにも1日中ネットにかじりつき、希望をもたらす情報を得ようと虚しく調べまくり、2ちゃんねるの、「一般の合格最低点、◯点らしいよ」のようなガセネタを見てはため息をつくという、非生産的な日々を過ごしていた。

 

結局、かなりスレスレで受かっていた。1点差で受かった友達もいた。2人ほど落ちた友達もいた。彼らも今は医師として働いている。

 

明日、がんばった受験生が報われてほしいと思う。ほんとしんどいから、あれは。

 

ではまた。

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人間関係に傷ついたり疲れたりした人へ

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こんにちは、猫pです。

 

人間て楽じゃないね。

なまじ言葉があるばっかりに、分かり合えると思っちゃうけど、逆に言葉があるから言葉に頼っちゃうし、余計複雑なことになっちゃうで傷ついちゃうよね。

 

あんな言い方するつもりじゃなかったのに、とか、自分も悪かったけど相手も悪いから自分から先に謝るなんてしゃくにさわるし、とか。

 

難しいね。みんな言葉があるから、わかってくれるって期待してしまって、裏切られた気になって傷ついちゃうし、知らず知らずのうちに自分も他人を傷つけちゃう。

 

そんな君たちに言葉を尽くして癒してあげる気は私にはない、というかそんな能力は無い。

 

代わりに、うちの優秀なセラピストたちに癒してもらってください。

 

見るクスリを処方します。

 

www.youtube.com

多分これ見たら、ささくれだった心がちょっとは丸くなるかもよ。

 みんな猫になってしまえばいいのにね。

 

ごめんなさいは、早く言ったもん勝ち。言い逃げして、相手の反応は期待しない。そしたら、意外と楽になるかもよ。

 

ではまた。

 

 

まとまりのない近況話・その後の京町家とか猫とか爪切りとか

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こんにちは、猫pです。

ただのごちゃごちゃとした近況話です。

 

じわじわと進んでおります京町家計画。

 

島猫さんは、瀬戸内海の島を勧めてくれましたが、島だとたまに遊びに行くにはいいけど、年取ったら住むのはちょっと不便で住みにくそうだから島は無理です。第一、しばらくは週2くらいで仕事続けるから通えるとこじゃないとね。

 

最近、なくした通帳を再発行するため東京三菱UFJに行って以来、銀行のお姉さんから何度もなんかの勧誘の電話が来てめんどくさい。貯金額まだ少ないのに熱心なことだ。

 

東京のホステスには熱烈に営業電話をかけられ、京都の舞妓にはつれなくされる…

 

その京都の舞妓もとい京都信金から、貢ぎ物もってこいと不動産を介して返事があった。

 

「お世話になります。
本日、京都中央信用金庫で内容を確認してきました。

<必要なもの>
源泉徴収 3期分
もしくは所得証明 3期分

もしくは確定申告書写し 3期分
※現在お勤めのところが2年ほどとお聞きしておりますので、上記のなかで揃えられるものをご準備いただければと思います。

②免許証の写し

③保険証の写し

④医師免許の写し(もし他にもあればそれらも)

⑤融資希望額

⑥自己資金額
  ⇒できればそれを証明できる資料(通帳の残高など)

⑦資産状況(不動産、金融資産等お持ちであれば)

⑧自動車ローンなど他の融資残債額(もしあれば)

⑨事前審査申込書

⇒こちらは郵送させていただきますので、必要事項をお書きいただ きます。

まず①~⑧をご準備頂き、⑨は届き次第、内容をご記入の上、
弊社まで返信いただくようお願い致します。

何とか◯◯様のご希望に添えますようがんばりますので、
どうぞよろしくお願い致します。」

 

弱いところをつかれた…

三期って何よ!

去年も一昨年もパリにいたから、日本での働きは微々たるもんだし、その前の年は今の病院は半年しか勤めてないから、あんまりぱっとしない稼ぎなんだよな。

 

出すもん出して駄目だったら諦めるわ。あの場所、家の真ん前に畑にできる土地があったからよかったのに。畑が遠くなったら行かなくなりそうだから、家の目の前に畑が作れるところじゃないとなぁ…。

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そして、話題は猫に移る。

実は猫を譲り受ける話を進めていた1ヵ月ほど前から、仕事をぐっと減らすことを決めていた。もらってくる猫と先住猫とのマッチングに時間がかかる可能性も考えて、猫との暮らしを優先しようと思ったのだ。次の月から当直を減らすから40万くらい月収減るけど、今は猫と向き合うことが大切だからと思っていた。ところが…

 

2つの病院から、仕事を手伝ってくれとの依頼が。そのうち1つはよくバイトさせてもらってるところで、院長先生が入院されて、とても困ってるとの事だったので、しょうがなく引き受ける。40万減って、月60万ほど入ってくるので、結局差し引き20万得してもうたわ… 今は金よりも猫との時間が欲しいんだが…まぁ金があったら家も買えるからほしいっちゃほしいけど。

 

というわけで、猫を譲り受けて3日目にして急に48時間の連続勤務になってしまった。

卯月は2日目にして、すでに良い感じを出してたけど、でもこれまでずっと私の膝を独占してきた甘えん坊が、私の膝をとられて、影で子猫をいじめないだろうか…もし子猫たちに何かあれば、元飼い主さんに申し訳が立たない。後ろ髪を引かれる思いで仕事に出かけた。

 

家に帰ってみると、なんだこれは!!

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完全に打ち解けてるではないの!?

 

 3匹がわちゃわちゃと遊んだりべったりと固まって寝てたりするのを見て、幸せ…と思った。今ここにいない小豆のことを考えると胸がチクンとするけど…

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それにしても、子猫が家にやってきて、一気に騒がしくなった。柱に飛びつく、カーテンに飛びつく、トイレを散らかす…実は、卯月は出木杉くんだったんだな。まぁ元気でよかよか。

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しかし、一気に部屋の散らかりが加速した。もうここはひとつ、時短に金を出そうじゃないか。次から週一のお掃除サービスに来てもらうことにした。

 

床に散らばったトイレの砂をルンバ君に頑張って掃除してもらってたけど、ルンバがもたもたしてるから、自分でやったほうが早いと手で砂をかき集めていると、爪の間に木屑が刺さった。痛い。とりあえず爪切って見やすくしてから取り除こうとしたけど、爪切りが見当たらず。どうしてだ、ついこないだ会ったばかりじゃないか、爪切りよ、そんなに私が嫌いか…

 

そんな京町家と猫と爪切りのその後の話でした。

 

ではまた。

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【再掲+ α】承認欲求について

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こんにちは、猫pです。

 

ちょっと前に「私が診察にゆっくり時間をかける理由」と言う記事に対して、あまり建設的な批判とは言い難いコメントをいただきました。

 

普段だったら、そういったコメントに対しては、「長文ご苦労様〜♡」と言いながらさくっと消すのみなんですけど、この方に対する回答にもなりそうなので、以前書いた記事を再掲します。

 

ちなみに、どんなコメントだったかについて、特に非承認希望されてなかったようなので、この場で公開させて頂きます。id:samieelさん、ありがとうございます。

 

「日本をディスりながら、型にはまりたがる矛盾が気持ち悪い 女医、とか、コミュ障、とか 結局、日本の大多数の人間と同じ、自分から型にはまりたがる承認欲求に飢えた人間だな、と、思う わざわざ型にはまりながら、日本の思考停止をディスる矛盾が理解できないなぁ… アクセスのためにわざと、なんでしょうかねぇ、わからない 人が型にはまろうがはまるまいが私には関係ないけど、矛盾が嫌いだから気になった あと、虐待の後遺症としてのADHDの可能性とかないのかな、と思った」

 

 

このコメントを読んで思ったこと。

いろいろ突っ込みどころもあるんだけど、長くなるので触れません。

 

ただ思ったのは、もしかしてこの方自身が承認欲求にすごく飢えてる人なのかな?

承認欲求強い人の文章読んでも、たいていは「この人って承認欲求強いなぁ」って思うだけで終わりだけど、そこをわざわざ相手に言うというところがね。「型にはまりたがる」私なので、あなたのことも型にはめさせてもらうと、あなたのそれは、防衛機制でいうところの「投影」かなと思う。

 

(以下、wikiより一部抜粋)

投影(とうえい、英: Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るために、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きを言う。

 

あ、今後はコメントもらっても申し訳ないけどスルーします。今回もスルーしようと思ったんだけど、たまたま承認欲求の記事書いてたから、これをもって返事としただけで。

 

あとね、私の目標がたかだかアクセスアップごときのみみっちいものでないことは、私のブログをいつも読んで下さったらわかりますよ。

( ̄∇ ̄)b

 

虐待とADHDがうんぬんという質問?については、ご自分で調べてみてね。礼儀を欠いてる人に対して自分の時間を割くほどお人好しでも暇人でもないので失礼。笑

 

 

(以下、再掲記事です。) 

この記事は、以前某ブログでちょっと粘着されてたことがあって、その方が私を『承認欲求の塊』のように評しておられた事に対して書いたものです。この記事出すの迷ったんだけど、もう過去記事のストックがあまりないからしょうがない。


 

承認欲求については、正直、医者だったり、パリ大留学してたりすると、とりあえず「すごいですね〜」みたいなお世辞はよくもらうので、あまりそれに飢えている気は自分ではしません。

 

実は、他人からの承認については、あまり興味がありません。

 

唯一この人からの承認が欲しいと思っている人がいるのですが、その人は、最近私を承認してくれないので、軽くへこみます。

 

 

 

その唯一の人とは、『自分』です。私は、いつも自分に認められたいのです。

今、ある目標に向けて、日々、自分にノルマを課しています。

 

それが達成できると、『自分、すごい。ようがんばった!』と自分から承認が得られます。

 

ところが最近、ささいな出来事に振り回され、なかなか自分に課したノルマが十分に達せられていないため、自分からダメ出しされてしまう毎日です。

 

 

 

こんな私ですが、実は、過去に承認欲求がとても疼いたことがありました。

 

それは、医学部受験生の頃のことです。S台全国模試で、信じられないほどよい成績を取ったことがありました。

 

『私って、天才かも?』って、正直ちょっとうぬぼれました。

 

ただ、周りに受験生がいるような年齢でもなかったので、誰にも知らせることなく、その結果の紙をそっと机の引き出しにしまいました。

 

 

大学に合格してから、引っ越しの準備の為、不要物を捨てていた時、その模試の結果が出てきました。受験生の時のものは取っていてもしょうがないので、片っ端から捨てていったのですが、その紙を捨てるのは、ちょっとためらわれました。

たぶん誰が見ても『すごい!』って言ってくれそうな成績なのに、誰にも見せることなく捨てるのかぁ…と、ちょっと誰かに自慢したいなぁという気持ちが疼きました。だって、にんげんだもの(by みつお)

 

でも、私はそれを、思い切って捨てました。

 

この先の私の人生が、もしあまりぱっとしない、冴えない日々だったら、私はその模試の結果を、『どやぁ!』と、こういうブログに貼りつけ、過去の栄光を自慢したくなるかもしれない。でもそれは、あまりにカッコ悪い。だから、そんな欲望が起こらないようにしたのです。捨ててよかったです。

 

 

 

でもこの『承認欲求』、私は特にそれ自体が悪いこととは思っていません。

 

人々を感動させる反戦歌を歌う歌手も、歌手になる動機は、案外『モテたかったから』なんていう理由だったりします。

 

人に認められたいという思いは、向上心を維持させるモチベーションとなるので、承認欲求をいい方向に育てれば、学問や芸術、スポーツ等、幅広い分野で多彩な花を咲かせるでしょう。

 

 


一方で、この『承認欲求』が強いにもかかわらず、それに見合った努力ができないと、当然その欲求はなかなか満たされません。

 

そうなると人は、過去の栄光にすがったり、自分よりも承認されているように見える人に対して不名誉な噂を立てて引きずりおろそうと画策したりと、手の付けられないモンスターと化します。

 

 

 

自分の『承認欲求』を、きれいな花に育て上げるも、モンスターにしてしまうも、自分次第だなと痛感する今日この頃なのでした。

 

(再掲記事終わり)

 

さて、最近の私の承認欲求は割と満たされてます。「私自身」から承認されているからです。

 

「私自身」は私にこう言います。

 


「なんだかんだだらしない日もあるけど、やると決めたことに対しては、目標に向けて実行してるから、いいんじゃない?」

 


「私自身」は、口先だけじゃなく実際に行動する人が好きなようです。

 


コメ主の文章見ると、どうも現状に満足してないんじゃないかな、と思います。安全地帯から人にこんなしょうもないコメント書いて悦に入ってたって、内心は満たされないのでは。

 

余計なお世話でしょうが、とりあえずブログ書いてみたらどうでしょう。そのほうが、健全な承認欲求が満たされると思いますよ。私も励ましのコメント送りますし。笑

 


ではまた。

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